マヒドン大学宗教学部に講師として勤め始めた2010年。私はタイの学生たちにタイ語で日本の宗教事情を教えたり、タイの学生たちを日本へスタディツアーに連れて行ったりと、大学で教えることを満喫していました。しかし一方で、本当にこのまま大学で日本のことを教えることが私のやりたかったことなのだろうか?という疑問がわいてきました。楽しいけれど何か違う、、という気持ちを抱えながらの毎日でした。
そんなとき、大切な出会いがありました。のちに結婚することとなる同僚のホームさんです。赴任したてに挨拶をしたとき「笑顔が素敵な人だな」と思いました。彼は同じ学部で英語を教えていました。偶然研究室が同じ部屋で、また先生用の宿舎も近く、慣れない講師生活で私がわからないことをいろいろと教えてくれました。
次第に仲良くなり、よく彼のことを尋ねてみると、私がずっと研究調査をしていたスカトー寺がある県の隣にあるルーイ県出身。そして12歳から30歳までの18年間お坊さんとして修行をしていたとのことでした。私が会ったときは還俗して1年が経過した頃でした。
いろいろ話をしているうちに「この人は徳が高いなあ」と尊敬の思いを抱くようになりました。年齢は私より6歳下ですが、自分の心をしなやかに整えていて、還俗後も仏教の教えを指針として活かしているような人です。その後お付き合いをするようになり、2012年に結婚。国際結婚でしたが、ありがたいことに双方の家族、友人知人が皆歓迎してくれて、新たな人生の歩みがスタートしました。
2014年には息子が授かりました。その頃、彼は大学という組織を離れて自分で自立して生きていきたいという挑戦を話してくれました。私もちょうどタイ仏教の説法を翻訳して日本に伝えていくことの楽しさと意義を感じていて、フリーランスでやってみたいという気持ちが強くなっていました。子供を授かったこと。それが組織を離れるという私たちの挑戦を後押ししてくれました。
その決断をしてから3年。今、私たち家族は、東北タイの田舎にあるウィリヤダンマ・アシュラムという瞑想修行場の一角に居を構え、自然の中で暮らしています。夫は売るためではなく食べるための農業を中心とした百姓生活。私はタイ仏教の説法を日々翻訳したり、アシュラムで開催される瞑想会での日本からの参加者に通訳をしたりと、本当に自分がやりたかったことをさせてもらっています。
タイへと導かれた縁。仏縁という言葉がありますが、私自身の歩みを振り返ってみたとき、まさに仏縁によってここまで導かれてきたのだなと思っています。これからもここタイを拠点としながら、家族と共に、そして縁ある人たちと共に、さらなる善き縁を紡ぐことができるように、精進していきたいと思っています。
月刊:浦崎雅代のタイの空(Faa)に見守られて
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