大人になってからADHD(注意欠陥多動性障害)と診断された私が、子供の頃からの苦しい経験を振り返って見えてきた、さまざまなコトを綴ります。一人でも多くの方のお役立てることを祈って。
周りのペースに戸惑いはじめた小学校時代
幼稚園の頃にはのびのび過ごせた私でしたが、小学校に上がると、そうもいかなくなりました。学校には、守らなければならない規則やルールがあるからです。
朝間に合うように起きても、学校まで徒歩5分だというのに、毎日遅刻。忘れ物も毎日で、その度に母親が届けに来てくれました。母も毎日朝から戦争で大変ですよね。
おしゃべり好きな私は家族から『えっちゃん』と呼ばれていたため、学校では「えっちゃんね、昨日ね、」などと自分の話ばかりしていました。そのため、小学2年くらいから「うわ、“えっちゃんねー”が来た!!」と男子に言われるようになり、鬼ごっこをしてもドッヂボールをしても、足が速いんだから逃げればいいだろと、集中攻撃されることもありました。
毎日習い事があったため、気が付いたころには周りの子が友達付き合いが上手になっており、女子からも仲間外れにされいじめに遭うようになりました。
小学4年の担任には「えっちゃんは友達付き合いがへたくそ!」と帰りの会でみんなの前で言われたこともありました。しかし、「学校行きたくないな」と呟いても、学校を休むことは許されず、無理やりにでも登校していましたが、そのおかげで『嫌なことがあれば逃げる』という思考が私には基本的にありませんでした。これは大人になった今、本当にありがたいことだなと思っています。
私の場合、“起立、礼、着席!”の後、授業が始まってから教科書をガサゴソ出すので注目を浴びました。授業が始まってすぐに「宿題を後ろから回して」って先生が言うから、何にも準備をしていない私は早速ガサゴソするわけです。するとみんなが「早くしろよ!!おせーんだよ!!」と煽るため、いつも出す宿題はくっしゃくしゃでした。
掃除の時間にサボってる男子が楽しそうで、次第に私も女の子一人で男子数人に混じって遊び、先生に怒られることもありました。
こういった症状が子供だからなのか、ADHDによるものなのかグレーだったため、担任の先生から両親に支援学級に行ったほうがいいという話はなかったのだと思います。それに、両親が私のそういう面を個性として認めてくれていたので、“お前は元気というより男勝りな子で大変だったんだぞ〜”と明るく話してくれていました。
でも、テストの時には最後まで問題を読まずに回答していたこともありました。
今思えば、さりげない配慮とか、対処方法などを教えて欲しかったなとも思います。