人生へのまなざし

真っ暗な空にこそ、星は輝く 第9回

大人になってからADHD(注意欠陥多動性障害)と診断された私が、子供の頃からの苦しい経験を振り返って見えてきた、さまざまなコトを綴ります。一人でも多くの方のお役に立てることを祈って。

まっすぐな思いは伝わる−私を信じて待っていて

幼い頃の自分の環境を思い出すと、これって虐待じゃないの?と思う時もありますが、私が非行に走らず今のような私でいられたのは、いくつか理由があると思います。

一つは、自分の居場所があったこと。もう一つは、母親も私のような子供を相手に、戸惑いながら一生懸命だったんだと、時々思うことがあったからです。

まず、仏教徒であった私は、道場が自分らしくいられる場所でした。そこでは、面倒見のいいお兄さんお姉さんがありのままの私を受け入れ、よく遊んでくれました。また、私が彼らの立場になった時、年下の子どもたちの面倒の見方を彼らから自然に学んでいたため、子どもたちは私を姉のように慕ってくれ、それがまた喜びでした。何よりも、会ったことのない海外の友達に、自分のお小遣いを少し分けることで彼らの生活をよりよくすることができる喜びを実感できるボランティア活動ができたことです。『アフリカに毛布を送る運動』というユニセフの活動や、『ゆめポッケ』という“思いやりを送る運動”は、私にとって人生の大切な一部です。

もう一つは、母との関わりです。小学生の頃、母が私を「おいで」と呼び、母の膝の上に私を乗せることがありました。その後私を抱きしめ、私の目を見ながら「いつも怒ってばかりでごめんね。どうすればいいかママもわからないんだよ。」と泣きじゃくったことが2度ありました。

母からは、母の幼少時代の話をたまに聞いていました。母が小学3年の時、実の父である私の祖父を病気で亡くし祖母が女手一つで6人兄弟を育てていたため、母は給食費を払えず教科書も買えずいじめに逢っていたこと、また、そんな母も、朝から晩まで仕事で忙しかった祖母に褒められたことは一度もなかったことなど・・・

そのような事実を聞いたり、母の素直な気持ちが伝わっていたからこそ、私は「母も不器用ながら頑張って育ててくれたんだな。」と思えましたし、母が安心できる自分でいたい、立派な人間になりたいと思い、ここまで来られたのだと思います。

現在は、母の厳しい躾も、毎日の習い事も、全てが自分のためになっていて、母が勧めた看護師という安定した立派な仕事に就くこともでき、幸せです。

当時は「くそばばあ。私のことなんか何にもわかってない。わかろうともしない。母親なんて認めない。」なんて思っていましたが、大人になって冷静に振り返ることができ、あの時の気持ちを撤回することは難しいけど、この感謝の気持ちで上書きしたいと強く思います。だって、当時は母にとっては子育て一年生。教科書もないし、限られた時間とお金で必死に私を育ててくれたんですもの。くそばばあって思うこともあったけれど、私は母が好きでした。私の興味のあることは何でもやらせてくれて、不器用ながら味わったことのない愛をたくさん注いでくれたこと、ありがたく思います。

真正面から本当の思いを伝えてくれ、母親なりに必死に子育てをしてくれたこと、当時の私もちゃんとわかっていました。ただ、机の上に書類やペンなどがごちゃごちゃに置かれているような感覚で、整理しても誰かが新たに物を置いていく状況を処理するために頭の中が本当に大忙しだったので、上手く伝えられなかったと思います。一瞬『ありがとう』の気持ちが湧いてもすぐに別のことが頭に浮かぶ、という感じでした。正直、怒られてばかりで辛いことがたくさんだったから、思い出すと涙も出ます。

現在もうまくいかないことがたくさんあるし、その度に落ち込むことも多いけれど、私の見える世界を理解しようと努力してくれる夫や友人に囲まれ、“真っ暗な夜空だからこそ綺麗な星がたくさん見られる喜び”に似た感動を抱いています。

今私が、子どもの頃に戻って、言葉にして母に何か伝えることができるなら、期待せず『私を信じて待っていて欲しい』ということです。自分の娘なら、理想像に少しでも近づいてほしいと求めますよね。でも、100%母の理想に沿うことは困難です。私の人生ですから。きっと、自分の“後悔”を私には味わってほしくないという“愛情”があるのだと思います。間違うことはたくさんありますが、 “できない部分”と同じくらい、“既にできている部分”もたくさんあります。“失敗するからこそ学べる”こともたくさんあります。“ありのまま受け入れて”もらえたら、いつか将来、母が想像もしないような母の理想を超えるような人生を送るかもしれません。

当時は自分の感情が何なのか、それらをどう表現したらちゃんと伝えられるのかわかりませんでした。でも、様々なことに挑戦させてくれ、見守ってくれたから、自分らしい生き方を見出すことができました。与えてもらった愛情を倍にして返すまで、まだまだ時間はかかるけれど、長生きして待っていてください。

きっといつか私も、子育てをする時が来るかもしれません。発達障害を持った子、持たない子、たくさんの子と関わることも多くなるかもしれません。

その時は、私も彼、彼女たちを信じたいと思います。

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ERIKO

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茨城県生まれ。幼い頃はおてんばで、木登りやかけっこをしては傷だらけの少女だった。
物心つく頃から人間関係で悩むようになり、自分を含め、あらゆる命がなぜその姿でこの世に誕生するのかを問うようになる。

23歳で看護師になるが、度重なるミスに上手く対処出来ず、うつ状態になる。
24歳でADHD(注意欠陥多動性障害)と診断を受け、治療薬を内服し始めると、ミスは激減。それまで苦手と感じていたあらゆる物事が徐々に解消され、人生が大きく変わっていく。
患者さんと接する中で、「私にしかわからない気持ちを、あなたは理解してくれる。あなたが担当で良かった。」と言われたのをきっかけに、自分自身のこれまでの人生を人の幸せのために役立てたいと思うようになる。

現在は看護師をしながら、東京都杉並区を中心に活動している『Let it be〜発達障害の子を持つ親の会〜』で、当事者としての思いを共有し、当事者だからわかる子供たちの気持ちを代弁している。

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