−話は数年遡ります。妹が我が家に登場した頃のことです。我が家の子として、迎え入れ、育てることに母は集中していました。毎晩お風呂に一緒に入っていました。そこで、妹は、自分の中で、膨れ上がった「お兄ちゃんの物語」を母に語ります。実際は神宮球場の階段わきで、一度会って挨拶をしたことが有るだけです。これを繰り返し聞かされるに従い、母の態度に変化が現れてきました。−
「あんたはなんて子だ。」「冷たい子だ。」「腹黒い子だ。」或いは「何考えているか、分からない子だ。」こんな断片的な言葉だ。何かの拍子に、つぶやく。それでなくとも腫れ物に触るようにして、日々が過ぎて行く時期だ。私は、これ以上もめごとは、ご免だと思っている。黙って反応しない。そんな事がしばらく続いた。
ある日、母と二人きりの時だ。母の感情が、ほとばしり出た。大きい礫が飛んできた。「あんたは、生まれてくるはずのない子だった。」父は、会社立ち上げで大変な頃だ。既に兄は居た。二番目の私は、堕せと父が母に告げた。それを何とか生ませてくれとその都度頑張ったのだ。だからあなたはここにいるのだ。一度はお腹の子ともども海に入ろうかと、海岸まで出て歩いたこともある。それがこともあろうに父を選ぶとは何事か。これが、母の言いたかったことの荒筋だ。
その時の私は、まず驚いた。そして辟易とした。微かな記憶に、神宮球場で、出会った親子の姿が有る。それだけだ。それは夫婦の問題だろう。そんなこと言われたって知るか。これが私の心に湧いた感情だった。そのままのセリフが口から出た。そのまま立ち上がり、外へ出た。
このことが、母の心の中を、支配し続けている訳ではなかった。父が適当な事を言ったのではないか。或いは、妹が、自分流の物語を語っているだけではないか。そんな思いが交錯している様だった。何事も無かったかのような、普通の時間が過ぎて行く。何かのきっかけで出てくる。そしてまた、短いセリフをつぶやく。「兄と違い、冷たい子だ。」
後年、母がこの世を去り、二年後、兄も舞台から消えた後だ。父から、母の形見だと言って、手作りの赤い手帳を渡された。育児日記だった。その中では、兄よりも沢山のページを割いている。「坊や、坊や。」と繰り返し、愛情を注いでくれている姿が、溢れている。それだけに裏切られた思いだったのだろう。しかし、その時の私が知る由もなかった。これが、早いうちに解消されていれば、良かった。だが私も素直になれなかった。その為、母にとって、トラウマの様にしこりと成って残った。
「冷たい子。」これが、私の形容詞の様について回った。私を取り戻そうとするかのように、何かの折に、父の悪口を云う。今までに無かったことだ。兄弟が、育つ過程で父親像を必要以上に悪く持たない様にと、抑えていた。それが綻びた。また、突然、沢山のブルーのワイシャツと下着のシャツが引出に詰め込まれている。母が、父のお下がりだという。何故だ。何事かと思った。
しかし、黙って着ることにした。少しは女の子の目も気にする年頃だ。劣後順位で、無難な日に着る。その為、何年も何年も引き出しの中に残った。後に、私なりに知恵がついて分かった。父が何処の家に行って着替えをしても分からない様に、同じものを何処にも置いた。それをある時、何カ所分かを、引き揚げてきたのだ。母も面白くは無い。父も自分で始末すればいいものを、とばっちりがまた来たと思った。
そんな小さなささくれの様な事が、幾つか起こった頃だ。母が突然、呟いた。「母親失格だね。どうせお父さんが、適当なことを言ってきただけなのに。真に受けて、あなたが生まれる筈が無かったなんて、溢して。」私は黙っていた。仏壇の過去帳を見ると、年月日が各戒名の脇に小さく書いてある。こんな事も今まで見過ごしていた。私の生まれた年の後に、三年続けて、母の水子の戒名が同じ日に纏めて有る。性別の分かる子とそうでない子の違いも分かる。この事を冷静に見たのは、十数年の後だ。その時は何と云っていいのか分からなかった。
また、暫くすると、「冷たい子だ。」「何を考えているのか分からない。」「腹黒い子だ。」呟きが復活する。混乱している。何かトラウマの様になって、母の頭の中に刷り込まれている。
母との葛藤の話はまだ続きます。