家族とつながる

家族の諸行(因縁によって生じたこの世の一切のこと)「母の場合」#7

新しく登場した妹は小学一年生。私は大学一年だった。兄と兄弟二人の所に、小さい女の子が突然入り込んだ。何事も混乱した。男だけのガサツな事が憚られた。風呂上がりで裸に近い格好でウロウロする事は禁止。食事の仕方も躾に成らないと気儘な食べ方や、好きなおかずの取り合いも御法度 。又、この子に学校の友達が、なかなか出来ない。この為、下校途中の商店街や、隣近所で、何故自分が突然我家に登場したか、自分なりの理解で物語を広める。放送局になった。これが一番予期しなかった困りごとだった。

その頃母が、家族全員にとって一番良い吉方が使える年回りであることを知る。一大決心をした。腹が決まると、凄い行動力を発揮する。父が仕事で、長期間不在になる。その間に決めて実行に移さないと、時期を失する。出発前で多忙の父に話を付けた。一任だ。但し、今いる家を売ったお金の範囲で全てをまとめる事が条件だ。それから、母の大活躍が始まる。ここの土地が欲しいとの話は、裏手の街道に面した、自動車販売のサービスステーションから寄せられていた。その話をまず抑えにかかった。間に立つ不動産屋さんと下交渉をした。どの位で売れそうか当たりを付けた。

返す刀で、吉方になる世田谷線沿線の神社の方向と決めた。不動産屋さんを探した。物件が丁度ある。高台にある二階建ての家屋だ。早速下見に行く。父も気に入りそうな、見晴らしの良い静かな住いだ。私と兄が二回目の下見に同行した。我々兄弟も気に入った。動きは早い。すぐ値段の交渉に入った。引越しに条件がつく。家族の移れる月がバラバラだ。先ず一間だけ、私が移り住まわせてもらう。それから、順次三ヶ月以内に移る。引越し完了は、話を始めてから三ヶ月後だ。これが、吉方を使える期限だ。難しい交渉だ。しかし、母は踏み込んだ。気合いが入っている。全ての条件込み。お金はこれしかない。ダメなら諦める。

相手も驚いた。でも、家主の人の事業が儘ならず、お金が必要だった。直ぐに了解が取れた。今度は、今いる家の売却交渉の纏めだ。幸い、買主の事業拡張のため、周辺の家を何軒か揃えて更地にする。従い、三ヶ月ほど住み続けることができた。値段は、下打ち合わせをした通りで落着。後々不動産屋さんが、「素人の奥さんとも思えない、凄い度胸の座った交渉だった。」と述懐したらしい。何モノかが見守る様に、母の動きに道筋をつけて行った。

父は最後に、そのまま空港から引っ越し先に戻った。高台で、見晴らしも良く、父も大変気に入った。その上、静かで風通しが良い。一方、母は更に手を打った。家の玄関の位置を付け替えた。信仰団体でご縁の有った、大工さんにお願いをし、手際よく、短期日で仕上げて貰った。南側にある小さな池も潰して、小さな生垣を配した庭にした。これは、昔から、祖母のご縁で、庭回りの世話をしてくれていたお爺さんがした。最後の仕事として、引退先の鎌倉から出てきて、してくれた。この人は、お金は受け取らない。貰い物で家に有るお酒や、食品に、煙草だけ受け取って、帰った。家相上で、気がかりな事には全て手を打った。この追加費用は、流石に、父が出した。全てにおいて、鮮やかな母の切り回しであった。

またこの家の売主が、父との繋がりがあった。母は全く知らずに、地元の不動産屋さんから、紹介された先だ。偶然のこととはいえ、不思議な巡り合わせだった。父は、海軍での最後の任地が、鹿屋の航空隊で、気象班だった。売主は、その鹿屋の特攻隊の生き残りの人だった。この人は事業を立ち上げている処で、金繰りに困り、家を手放した様だ。しかし、引越し時の日取りを分けた家族の移住の仕方。玄関の付け替えから、池をつぶしたこと等を見て、驚いたようだ。奥さんともども後日尋ねてきて、感心して、見て回っていた。母が仕切っていたのを知っている。特に、家族の結束ぶりに驚いたようだ。

後日、この人が、また現れた。休日の午後だ。今度は、数人の特攻隊の生き残り仲間が一緒だった。父が対応した。家主だった人の顔は、見知っている。人の良さそうな穏やかな印象の人だ。一方、その他の人々は、何となく、型破りで、一癖のありそうな人達だった。張り詰めて緊張した空気が流れていた。応接室内の会話はうかがい知ることは出来ない。事業に、投資するか、お金を貸してくれと云う事の様だった。母が、お茶を出しながら、この家に移り住んだ交渉の顛末等の話をして、その場の空気を換えた。母の方が手ごわいと感じた様だった。
その後も、何回か、母がいない会社の方にも現れた様だった。しかし、父は、自分の事業も精一杯である処を説明し、断り切った。

内実は、家の中は、まだ、バラバラの所が、一杯あった。だが外からは、結束した隙のない、一家に、見えた様だ。要の役は、母だった。この後、我が家に起こる出来事の流れが、変わったように感じられた。父の事業が上手く展開し出した。妹も、何の違和感もなく、学校の友達に受け入れられた様だ。近所で噂話のもとに成る様な、話もしなくなった。中学から、母と同じ、私立の女学校に通い、同じセーラー服姿に成った。長年付き合いが続く、仲良しの仲間が出来た。のびのびと、我が家の子として育っていった。

次は、母の料理上手の話と、更なる奮闘の話です。

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イチゾウ

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団塊世代、重厚長大産業出身、第二の人生真っ只中。

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