家族とつながる

家族の諸行(因縁によって生じたこの世の一切の事) 「母の場合」#5

二回目のリセットで、住まいは、洗足池の近くに移る。中原街道の近くだ。家族四人の生活に戻った。父は会社の仕事が少しずつ安定し始めたころ、野球との縁を復活させた。父は、ますます忙しくなった。母は、信仰団体の集まりに、毎日のように出かける。病弱になった私は、四六時中、なにがしかの病気に成っている。更に二カ月に一回位の頻度で、ひきつけを起す。その受け皿役の様な祖母が、居なくなった。

病気で寝ているときは、さすがに母がいてくれた。学校に行くようになると、家には夕方まで、帰って来ない。この様な日に、学校の帰り道や、友達の家に寄った帰りに、ひきつけを起す。母が、信仰団体で、「あなたが、総ての原因だ。」と云われて、その指導を飲み込めずに悶々としていると、私が、ひきつけを起こすという巡り合わせだった様だ。夜遅く、病院から背負って帰ってくれたのは、父だったことが多かった記憶が有る。

そんな私の健康に転機が来るのは、小学校三年の夏だ。母が決心をして、学校の水泳教室に入れてくれた。毎日プールの深い側から、突き落とされた。スパルタ教育だ。二週間の教室の終わりの日には、まがりなりにも息継ぎをし、足の立つところまで泳げた。自信に成った。この時から、健康が少しずつ、上向きになる。更に、積極的な子供に変わり始めた。これも母の決断の賜物だ。

小学五年生の時、主治医の判断で、ひきつけを直すため、早く成人化させる薬を投与された。ひげが生えはじめ、声変りした。この時より基礎体力が充実し、見違える様に、健康体に成って行った。母の心配も、この面では軽減された。兄はこの時点では健康そのものだった。喧嘩ばかりして、他の家の子を殴り、怪我させるのが問題だった。だが、素直に謝る。母にとっては心配のない子だった。

夏、中学生に成った兄と、小学校高学年の私の成長した姿を見せに、下関に行った。母の計らいだった。父の養母は、既に旅館の仕事を辞めていた。大変な喜び様だった。体に無理していただろうが、秋芳洞や、秋吉台まで足を延ばして、兄弟に風光明媚な地を見せてくれた。大変な歓待だった。一週間後、甲子園の野球大会の後、父が迎えに来た。養母は、下関駅まで、見送りに来てくれた。孫の相手で、くたびれて居ただろう。少し沈んだ、さみしそうな、表情をしていた。

東京に戻ってから、また手紙書きが始まった。末尾に必ず、「東京に来て下さい。一緒に暮らしましょう。」と書き加えていた。養母からの返信には、必ず、二人が今回の訪問で、気に入って食べていたウニの瓶詰を送ってきた。何処まで本当に、不慣れな、東京と云う都会に移り住もうと思っていたか、定かでない。ただ、「有難う。」「有難う。」と繰り返すばかりの、内容だった。

その様な流れの場面で、懸案だった母方の祖母が、再度戻ってきた。今度は、姉の子が、祖母の手持ちの小遣いを盗んだという。私達兄弟より、遥かに知恵が回る子だ。何のゲームをしても敵わない。何時も上手い事やられて、鼻を明かされていた。何かの釣銭を、ちょろまかしたのか、本当に盗んだのか真相は分からない。祖母はこれを理由に、「あの家では住めない。」と奥の六畳間の一角に、座ったまま動かない。その日から、食事をする部屋が、表の四畳半の部屋に成った。私の机と、仏壇が有る。既に狭い。父の怒りがまた爆発する。

「追い出せ。」と母に、何度も迫っていた。その内、しばらく家に帰って来なくなる。父もどこまで、高齢になった養母が東京の新しい環境に移り住めると思っていたか、分からない。但し、祖母の存在を知る昔の野球仲間から、会う度に、繰り返し云われていた。「年老いた養母を、長い間、下関に一人残しているのはおかしいだろう。親不孝だ。早く引き取れ。」父の面子も、その度に、潰れていた。二度目のリセット失敗。影響は大きかった。

一方、父の仕事の方は、幾つかの子会社も作り、拡大していた。だが、失敗も多かった。取引先とのトラブルは減って来たが、身内で苦労していた。使い込まれたり、客先を取られて、独立されたりした。野球の関連で、活動範囲が拡大する中、時間を取られ、目が行き届かない面があった。事業との両立に苦労していた。家の中も治まらず、面白くない。ストレスの発散する場もない。またぞろ婚外活動が、拡大していく。

その様な中で、下関の養母が息を引き取った。もともと高血圧や、今で云う成人病の諸症状で、床に就く日が多くなっていた。にわかに病状が改まり、危篤になった。超多忙の父もぎりぎりで駆けつけ、最期の場には、間に合った。母は、只々、お詫びするしかない。養母への親不孝を詫び、父の思いに沿えなかったことを、お詫びした。父は、収まらなかった。

とうとう父は、家に帰らなくなった。東京にいる筈の日も、家には戻ってこない。

次は、命を懸けた母の苦難を乗り越える話です。

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イチゾウ

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団塊世代、重厚長大産業出身、第二の人生真っ只中。

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