家族とつながる

家族の諸行(因縁によって生じたこの世の一切の事) 「母の場合」#1

母の葬儀は、高輪のお寺で営まれた。父が選んだ。幼いころから、女学生時代を過ごした、母にとり、芳しい思い出の地だ。多くの方々が参列し、しめやかだが、賑やかだった。父の各種表彰の場には、母が常に車椅子で、参加していた。父がかいがいしく、面倒を見て回るのだから、内助の功も一緒に顕彰されている様だった。従い、野球界からは大勢の参列者が来られた。近所の方々にも母の人となりのファンが多かった。母が帰依する信仰団体の人々、更には、兄と私の会社関係の人々も多く参列された。

苦労の多い人生だったが、幸いにも、実りも多かった。信仰団体に入る時、その当時では、姓名鑑定をして貰っていた。それにより、人生の直面する苦や、課題を予め診て貰っていた様だ。「可哀そうだが、良い処は見付けてあげられないよ。」「良く、男の子二人も授かったものだ。」と云われていたらしい。

後年苦労する分、幼少より娘時代は、順風満帆の幸せなものだった。
母の父親は、次男で、外語大学を出て、当時日本で唯一の外為銀行に勤めていた。イタリア語が専門で、それを生かして仕事をしていた。古典の造詣が深い。戦災で、全て失うまで、蔵書の山に埋もれて幸せな時を過ごした。上品な趣味の人だ。また、母曰く、洒落の達人でもあった。家系は、福島出身。曾祖父は、宮内庁御用掛の医者と云われている。長兄は、同じ外為銀行の調査部長を経て、戦時中は、日米経済戦争の研究にも携わっていた。後、趣味を生かし、蝶類学者に成り、蝶類学会を創立。同じく趣味の世界で大成した人だ。

母の母親は、裕福な家系の出だ。多摩川近くの矢口の大きな屋敷に住んでいた様だ。港区三田にあるクエーカー教徒系の女学校に学んでいる。明治の日本人で、著名なキリスト教系国際人二人が、その設立を推進した女学校だ。同じ三田の地に有る私学の雄と云われる学校と縁のある人々は、一族に多くいる。同校創立者の次男夫人も、親戚筋だ。また、日英同盟締結に携わった公使も親族だ。

住まいの近くにある新田には、昭和初期まで、この私学の総合運動場が有り、観客席つきの野球場もあった。対抗戦も行われていた。この縁で祖母は、同校の野球ファンに成っていた様だ。これが、後に、母と父を結びつける伏線に成る。

母は、高輪で育った。近くで、事業家が、私邸の敷地内に作った、幼稚園・小学校に通った。各学年に英語科とピアノ科がある。中学と高校は、港区広尾にある白いセーラー服で有名な私立女学校に通う。明治の初代首相が、欧米の婦女子並みの教育を意識して、経済界の大立者達と、肝いりで始めた学校だ。英語教育に、力を入れていたが、良妻賢母を育てる学校だ。卒業生は、父の私学の卒業生とカップルに成った人が多い。

母の女学校時代の写真が残っている。生涯の友達と成る仲良し三人組が、はち切れんばかりの笑顔で写っている。この頃流行ったものだろうが、手足の長いサルの縫いぐるみを持っている。今で云う、野球のエンジェルスのマスコット、ラリーモンキーと良く似ている。三人とも育ちが良さそうで、幸せいっぱいの娘時代を過ごしていますと云うメッセージが見るものに伝わってくる。

父は、大学で野球をしていた。ところが、生活指導面で細かな事を言う当時の監督に反旗を翻した。同調者と共に第二合宿所なるモノに移住した時期があった。その合宿所が、新田球場にほど近い千鳥町にあった。たまたま、母の家族と親交のあった、同じ私学出身の著名な作詞家宅の隣だ。そこに父の仲間も遊びに来ていた。その様な縁で、知り合うことに成った。

戦争と云う時代背景と、祖母の積極的支援もあった。卒業後の颯爽とした海軍士官服姿の父と、一緒に成る決心をしたようだ。私が社会人に成って後、「あなたより、余程キリとした清潔な人だったから、騙された。」と云っていた。他にも、良いご縁の話はいろいろ寄せられていた様だ。しかし、賽は投げられた。

母は二人姉妹の次女だ。姉は、その当時では、行きそびれのレッテルが張られかける歳になっていた。急いで、小さい男子のいる医者の後妻に入った。両親は同じように育て、可愛がったのだろう。しかし、「何時も、妹ばかり可愛がっていた。」と幾つに成っても、この姉は、こぼしていた。そして、戦時下と云う事もあり、慌ただしく母も嫁に出した。
この辺りに、後々、母が苦労を背負い込む伏線がある。
総ての波風が一旦治まった、後年に成って、落着する。後家となったこの姉の子が、実家の姓を継ぎ、墓も新たに、我が家の父母が眠る高尾の墓園に造られた。母が、生前この段取りをした。

次回は、嫁いでからの悪戦苦闘する母の姿です。まずは、我々兄弟が生まれてくるまでの話です。

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イチゾウ

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団塊世代、重厚長大産業出身、第二の人生真っ只中。

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