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家族の諸行(因縁によって生じたこの世の一切の事) 「父の場合」#9

父が母を連れて、海外へ出たのは、母が六十歳の時、一度だけだ。当時、新婚でニューヨークに家庭を築いていた私の所に、様子を見に来た。それでも、父は、一晩我が家に泊まっただけで、一人で、野球会議のあるシカゴに出かけた。帰路は、母とニューヨークで合流し、慌ただしく帰って行った。しかし、この頃より、母への気遣いの様子は、随所に、見てとれた。

父は、母のしている信仰へも、前向きになっていた。そこの壮年信者向けに、日本野球界の国際化に向けた経験談を講演する様にもなった。その記念として、教団の会長により、「勝」と「和」と書かれた二つのサインボールを頂戴した。この二つのボールが、バルセロナ五輪で日本の野球の試合を、ダッグアウトで、父と共に、見守るということに成った。

その頃、母の体の方に、それまでの無理を重ねた結果が、一気に出てきた。六十歳過ぎ頃から、みるみる衰えた。出来ていた事がどんどん出来なくなっていく。このことを、嘆く場面が多くなり出した。それに対し、今迄では考えられない位、父が自ら、手助けをしようとしだした。手の衰えを防ごうと、娘時代に得意にしていた、ピアノを弾けるようにした。自分が、手を回したようには、言わない。仕事で父に世話になった人から、母への贈り物として、届いた。

母は、戦争で焼け出されて以来、ピアノには触れていない。それでも、昔を思い出し、喜んでピアノを触っていた。何とか弾ける曲を、何度も意欲的に練習して、弾けるように努力していた。ドビュッシーの「月の光」を弾いていたのが、私の耳に残っている。

それからも、どんどん弱り、遂に歩けなくなり、車椅子に成った。ものも上手く掴めなくなった。そのころ、父が、功績を認められ、色々な場で表彰されるようになった。そういう表の場に、車椅子を押して、母を連れて行くようになった。自分だけで出来た事でないと云う感謝の気持ちを、その様にして表していた。

体の衰えは、やがて呼吸機能にも及びだした。駒沢の国立病院に入院した。この時の父の看病振りは、看護婦さんの間でも、評判になった。ジャケット二着を着替えと共に持ち込み、ずっと泊まり込みだ。そこから、必要な時は野球の会議や、仕事に出かけ、また病院に戻った。母は、その後、二つ病院を移った。その期間、ずっと父は、同じスタイルで看病を続けた。

そこまで素直に出来るんだったら、今迄は、何だったのか。傍では、言いたくなるような優等生への豹変ぶりだった。でも、何か必要があって、回り道をしたのだろう。何事かが、その様に働いていたのだろう。母の葬儀は、子供から娘時代迄を過ごした、高輪の地で営まれた。父が、総て仕切った。

母の死後、身を引く筈だった野球界の仕事が、また、戻ってきた。もう八十歳を過ぎた身だが、特に外国との関係から、必要とされ続けたようだ。一方で、寂しさを紛らせてくれるという面でも、父がそのことを求めていたかもしれない。毎月の様に、海外に出かけた。帰国して、成田から直接に、国内の地方に出向くこともあった。

その様な父に、更に、苦難の時が来る。兄が、子供の頃の、予防接種がもとで、C型肝炎から、肝臓がんに成った。入退院を繰り返していた。母の葬儀の時は、まだ、身を正して、長男らしくお見送りが出来た。だが症状が日増しに進行するようになった。終末期は、自宅療養を選択した。父も二階に同居して住んでいる。

兄は、父に対して、子供のころから旗色鮮明に、反旗を翻した。母の味方であることを宣言し、父をよくなじった。その度に殴られた。何故、野球ばかりで、家庭を顧みず、母に苦労を背負わせるのだと父の痛いところを突いた。私は、自分も、母の味方をしたら、家が壊れる。子供心にいつも感じ、抑えていた。故に、父は、母との別れ話では、兄は母へ、私は父へと考えたのだろう。この為、私は、事ある毎に、母に裏切り者と恨まれた。辟易としたが、沈黙した。

しかし、年月を経ると共に、父と兄の間は、お互いを認め合い、修復していた。いよいよ、兄の最終局面では、海外に出張してしまった。死ぬ前日、まだ、正気を取り戻し、少しは、電話で話が出来る時間が有った。その時、モスクワから電話をかけてきた。お別れの言葉を交わした。悲しむ様子を、周りに、見せまいとしたのだろう。

その後、葬儀が終わり、ほとぼりが冷めるまで、父はとうとう海外を、転々として帰ってこなかった。辛い思いでいっぱいだったのだろう。兄嫁と兄の孫達、そして、お骨に成った兄だけが待つ家に帰って来た。

次は、その後の父のお話です。

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イチゾウ

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団塊世代、重厚長大産業出身、第二の人生真っ只中。

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