私って「価値のない人」!?
ここは「ホッと家」。いまどき不用心なようだが、この家の門扉は常に開いたままだった。
誰でも出入り自由。日当たりの良い広めの庭は、手入れの行き届いた樹木や草花であふれている。開け放たれたガラス戸の磨き込まれた縁がわで、一人の男が読書に耽っていた。彼はこの縁がわの常連で、名はキタオという。
同じくここの常連に、ユキコという近所のアラフォー主婦がいる。夫と二人の子ども、舅姑の6人家族。日々の生活に息が詰まるのか、たまに縁がわを訪れ、庭をぼんやり眺めたり、ホッと家の人々と一言二言交わしたり。そして30分ほどすると、慌ただしく帰っていく。二人が言葉を交わしたことはこれまでなかったのだが、この日、ユキコはふとキタオに話しかけた。
「何なんですかね〜。なんか今って、外向きで前向きに何かしてないと、生きてる価値ないとか思われちゃうんですかね!?」
キタオは本から目を離し、彼女を見た。「誰かに何か言われたんですか?」
「言われたってわけじゃないんですけど…。私いま、専業主婦なんですけどね。子どもが小学生になったら、ママ友たちがどんどん働き始めて。大学時代の友だちは、共働きで子どもを産んでも働き続けてる人が多いし。私も働きたいけど、お姑さんが、子どもが小学生のうちは働くなって言うんですよ。生活だって余裕あるわけじゃないのに。
でね、この前、働いてる女友達とランチすることになって、お店どこにしようかってLINEしたら、“あなたが行きたい所でいいよ。私はいつでも外でランチできるから”ってレスが来たんですよ。なんかそれ見たら私、すっごくイラっときちゃって。」
弾丸トークが止まらない。
「なんか見下されてるっていうか、同情されてるっていうか。すんごく上から目線に感じて。子育てしながら働いてるってそんなに偉いんですかね!? 私ってかわいそうなのかな?
なんかすごく、自分に価値がないって言われてるような感じがしちゃって。ランチも行きたくなくなっちゃって。そんなことその友達には言えないけど。」
比べる心が「苦」を生む
黙って話を聞いていたキタオが、穏やかな口調で話し始めた。
「自分に価値がないって言われた気がしたんですか。それはつらかったですねぇ。でも、なんでそう思ったのかな…。相手から『私はいつでも外でランチできるから』って言われただけなんでしょう?」
少し考えて、ユキコは言った。「…私、卑屈になってるんですかね!?」
「なんで卑屈に?」
「だって、私にはこれといったキャリアもないし、SNSに写メをアップできるような趣味もないし、義理の両親と同居だから自由もないし。だからといって家事や子育てや嫁業が完璧にできてるっていうわけでもないですもん。自信を持てるところが一つもない。」
「あなたのような女性は、実際かなり多いと思いますよ。別に卑屈になる必要はないと思いますけどね。ただ、一つ言えるのは“卑屈さ”やその裏返しの“高慢さ”は、どちらも“自分と他人を比べる”というアブない作業をした結果、生じるんですよ。この“自他を比べる心”を仏教では『マーナ(慢)』といって、苦しみを生む原因となるから気をつけなさいと、お釈迦さまはおっしゃっているんです。」
「お釈迦さまが!?」ユキコは目を丸くした。
「そう。お釈迦さまがおっしゃったことです。自分と他人を比べて、自分が下だと思えば卑屈になって苦しい。そんな心の状態を『卑下慢(ひげまん)』といいます。逆に、自分が上だと思えば、『高慢』や、『驕慢(きょうまん)』という状態になり、周りの人々から嫌われて、これもまた苦しくなるわけです。」
「なるほど! たしかに私、自分と友達を比べていたかもです。働く主婦のAさんは社会とつながっているけど私はつながっていないとか、専業主婦のBさんはお金持ちで優雅な趣味を楽しんでいるのに、私は子育てに追われて時間がないとか。そんなふうに友達と自分をわざわざ比べて苦しんでいたような…。実際、今が不幸ってわけでもなんでもないのに。私自身が自分を卑下しているから、友達の何てことないLINEの一言に引っかかってしまったのかも!?」
「おお、良いところに気づかれましたね! あなたが今おっしゃったように、自分で自分に苦しみをわざわざ作り出すような心の働きを、仏教では『煩悩』というんですよ。ちなみに、さっきの『慢』の続きなんですが、自他を比べて、“自分と相手は同じくらいのレベルだな”と思うのはどうでしょうか?」
ユキコはしばし考えて答えた。「それはいいんじゃないですか? だってお互いに上でも下でもなく、言ってみれば平等だと見ているんでしょう?」
「そう思いますよね。ところが、お釈迦さまの答えは『ノー』なんです。自分と相手を比べて同じレベルだと見るのは『同等慢』といって、これも慢の一つなんですね。では、これのどこがダメなのかというと、結局“自他を比べること”自体がアウトなんですよ。
比べている限り、今は“同じレベルだな”と安心していても、いつお互いの状況が変わって上になったり下になったりするかわかりません。そうなると、すぐに『卑下慢』や『高慢』が顔を出すんです。」
「なるほど! 比べること自体がアウトなんですね。あ、ということは、自分で勝手に頭に描いている理想の主婦像と、自分を比べることも…」
「アウトです」
「やっぱりか〜!」
「完璧な主婦を目指すこと自体は問題ありませんよ。大いに目指して成長の喜びを味わってください。ただし、理想像と今の自分を比べないこと。『私はダメ主婦だ』と卑屈になるだけで、何の得にもなりません。」
「わかりました。なんだか長々と愚痴を聞いてもらったうえに、勉強にもなっちゃった! またここで会ったら、お釈迦さまの話を教えてもらえますか?」
「もちろん!」とキタオは答え、傍らに伏せた本をまた手に取った。
縁がわから軽やかに腰を上げ、カゴに食材満載の自転車を押しながら家路を急ぐユキコ。彼女の境遇は何も変わっていない。でもその表情からは、さっきまでの暗さが消え、目には輝きが宿っている。
こうして、ホッと家の縁がわで「プチ仏教講座」が始まったのだった。 ≪続く≫