夜7時が近づく頃、東京都台東区の松が谷福祉会館には、ワゴン車から降りる車椅子の人やその家族、ボランティアの人、付き添いのヘルパーさんなどが三々五々集まってきます。今夜は月2回行われる車椅子ダンスサークル「アップルエコー」の練習日です。
エレベーターで5階のホールに着くと、4人の人が補助を受けて普通の車椅子からダンス用の車椅子に乗り換えます。にぎやかに挨拶を交わしたり日々の暮らしのことなどを語り合ったりしながら、輪になって、練習が始まります。
CDから流れてくる最初の曲は、「バーディーソング」です。鳥たちがさえずり、羽ばたき、睦み合う姿を動作で表現する躍動的な曲で、曲に合わせて皆が鳥になり、手足をリズミカルに動かします。そして「北国の春」「きよしのズンドコ節」「花は咲く」など、いつも親しんでいる曲に合わせて全員で、またペアを作って踊ります。
一段落したところで、新しく工夫する曲の練習をします。ワルツ、タンゴ、ルンバなどの社交ダンスの動きを取り入れて、無理なく楽しく踊れるように、指導者の声掛けに合わせて、車椅子の人もボランティアも家族も、初めての曲にチャレンジしていきます。なかなか動きが揃わずにやり直したり形を変えたりするのも楽しくて、あちこちから笑いが起こったりします。
休憩を挟んで1時間近くに及んだ練習は「リンゴの唄」とラジオ体操で締めくくられます。そしてテーブルと椅子をセットして簡単な茶話会が行われ、お開きとなります。
私が車椅子ダンスサークル「アップルエコー」にボランティアとして加わるようになって5年ほどたちました。趣味で入っていた社交ダンスサークルの先生が車椅子ダンスの指導者であり、サークルのメンバーに障害者の親の会の方がいらっしゃったことがきっかけで、この集まりに参加するようになりました。
それにしても、車椅子の人たちは何と心が純粋できれいなのでしょう。練習日、会場で顔を合わせると、皆さんがあふれる笑顔を私に向けてくれて、手を握って、さっそく一緒に車椅子を回したり、向き合ってお気に入りのオーバースウェイのポーズを作ったりします。私がするささやかなお手伝いの量よりも、彼らが私にくれる熱く温かいハートの量の方がずっと多いと思います。仕事の疲れが溜まったりして体に重たさを感じながら参加することもありますが、一緒に踊っていると車椅子の皆さんの笑顔が私を癒してくれて、元気を取り戻すことができて、いつもさわやかな気持ちで夜の家路をたどります。
車椅子ダンスは、ヨーロッパで、二つの大戦によって生じた多数の戦傷者の間から始まって、進化・発展してきたそうです。それを日本に紹介したのは、社交ダンスの一流ダンサーだった四本信子さんです。彼女はドイツ・オランダに留学して車椅子ダンスを学び、日本に紹介して普及活動に尽力されました。四本さんは現在も日本の車椅子ダンス界の中心的指導者・実践者として活躍しておられますし、アップルエコーの頼りになる指導者でもあります。
車椅子ダンスには、車椅子の人と健常者の人がペアで踊る形と、車椅子の人どうしが踊る形がありますし、集団で踊ることもでき、自由な組み合わせが可能です。世界大会・アジア大会などが開かれ、日本人も活躍していますが、残念ながらまだパラリンピックの種目には入っていません。「2024年のパリ大会で競技種目に入るといいね。その時はみんなでパリに行こうよ。そうだ、そのために、今からお金をためなくちゃ。」という話題も出ます。
アップルエコー主催のダンスパーティーが毎年5月に浅草で行われ、地域のダンス愛好家が大勢やってきて、ダンスを楽しみます。また、台東区のアマチュアのダンス連盟主催のダンスパーティーには、毎年車椅子ダンスの愛好者が招待され、フリーダンスタイムは、健常者と車椅子生活者の区別なく、皆が自然にダンスを楽しむ時間となっています。これも、アップルエコーが20年近く地域で活動を続けてきた成果だと思います。
ダンスは楽しいです。老若男女、健常者も車椅子生活者も、自分の身体の力に応じて無理なく踊れます。また、互いにパートナーやチームを思いやらなければ出来ないものなので、自然と温かく和やかな雰囲気が作られます。
私にとって車椅子ダンスの良さは、車椅子に乗る人と健常者の私が「共にダンスを楽しむ」という対等の関係で楽しめることだと思います。「ボランティア」という、「支援する側とされる側」といったニュアンスは、まったくないとは言えませんが、かなり少ないです。これが心地良いのです。
互いに出会いを喜び、共に楽しむということを大切にしながら、これからも車椅子ダンスに関わっていきたいです。