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井の中の蛙、秀樹という船で“芸能海”に飛び込んだ〈初航海編〉

ぶっつけ体当たりで度胸がついた

右も左もわからずに飛び込んだ私への使命は、「会員数激減のファンクラブ(FC)を立て直し、秀樹の人気を取り戻すこと」。脱マンネリと脱低迷には若い力が必要で、新鮮な感覚で空気を入れ替えたい、ということだった。当時は人気低迷に加え、運営担当者が高齢だったせいか、会報誌もFCも体を成しておらず活気を失っていた。その残念さは充分に私も感じていただけに、テコ入れ再生の役目は誉れだった。

周りは10歳以上の年上ばかりで、昔の話がわからないことが私のコンプレックスだったけれど、むしろそれは不要、報告と相談さえしてくれれば自由にやってくれと言われ、気が楽になった。銀行時代、つまらない規則やがんじがらめの慣習にウンザリしていた私は、自由な発想が許される上に、大好きなデニムで仕事に行けるだけで水を得た魚。(デニム好きも秀樹の影響)

具体的には、会報誌の制作、FCの収支管理、コンサートや舞台のチケット業務と現場サポート、グッズの販売、イベント企画、TV番組へのリクエストなど運営全般を一手に任されることになった。もちろん、どれも未経験。そんな私に「任せる」なんてよく言えるなぁ、この会社。

まずは不評の会報誌を改善。こうして手探りで私の「取材体験」が始まる。インタビューなんてやったことがないのに、それも相手は秀樹!! どうすんの、私。やるしかない。質問メモを作り、テープに録音する、という最低限の準備、と言えるのかも怪しい状態で肝を据えてぶっつけ本番。

緊張のあまり記憶が飛んでいるけど、よほど私がつたなかったのだろう、秀樹は心配そうに私のメモをのぞき込みながら丁寧に答えてくれていた。その後も注文やダメ出しは来なかったから、なんとかセーフだったのかもしれない。ファンなら錯乱しても許されるけど、お仕事としてパニクったらアウトという緊張感が強かった。このミッションで、私はかなり度胸がついたと同時に、ファンとしての気持ちが自然にスパッと切り離れていた。

そして私の着任早々に大きなイベントを開催することになった。心機一転のFCイベントとして、場所選びから内容構成、収支、運営仕切りまで全てを一任された。数年間この手のイベントがなかっただけに、ファンもスタッフも満を持しての開催。絶対に楽しそう、行きたい、これまでにない、お手頃値段というファン視点と、黒字にするという運営視点で考えたのは、大磯プリンスホテルで一泊二日、宴会3時間と翌朝食までのコース。宴会はただ食事ではなく、クイズゲームMCを秀樹にやってもらい、優勝者は翌朝食を秀樹と共にできる特典、参加者からリクエスト曲を募り、秀樹にその場でカラオケで歌ってもらうという、秀樹は食事の暇なしのフル稼働。

無謀なアイデアをおそるおそるマネージャーに提出したところ、NGどころかノリノリ。なーんだ、こういうのアリなんだ! 迎えた当日。当然、進行表はマネージャーから秀樹に伝達されているものと思っていたら、マネージャーから「柏木君から秀樹に進行表を説明してきて」。中身は何も伝えていないらしい。

ええーっ、説明はマネージャーの役目じゃないの?? 今すぐは心の準備もできていない。説明なんて無理! もし、こんなのヤダ、できない、とか秀樹から文句言われても説得できないよ…。

またもや縮み上がる緊張感で、たった一人で(助け舟は誰もいない)秀樹の前に進行表を広げ、説明。早く終わらせたくて早口になっていたと思う。小道具(かなりふざけた)を持ってもらい、Q出しタイミングでかなり奇妙な掛け声を必ず言って頂き、これを何十分間。その後は優勝者とこんなことをして頂き、その後は歌で…とかなんとか盛りだくさん。秀樹はうんうん、と黙って聞き「オッケー、わかった」。あの説明でホントにわかったの? もしや、わかったふりして何もする気ないのでは…?

その20分後に本番。秀樹は見事に私の説明どおりに動き、カンペも助けもなしにこなした。一発で飲み込む集中力は本当にさすが!大丈夫かしら、なんていぶかってごめんなさい。

ステージに出たら一人。直前までスタッフがいても、生放送やコンサートではハプニングに一人で対処しなければならない。そんな修羅場を何回もくぐりぬけてきた人だから、このくらい朝飯前なのかも。プロの瞬発力を初めて目の当たりにした。

このイベントも刷新された会報も好評を得て、私は初めて自分の仕事に感謝される喜びを知った。その後も次々打つ手がおもしろいほどに当たり、会員数もうなぎ登り。コンサートチケットも完売が増え、少しずつ私の自信になっていった。

しかし、本当の大きな問題は、その後からやって来る。

 

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かしわぎなおこ

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●小学校から大学までキリスト教系の私立一貫校で育つ。
キリスト教信者ではないが、幼い頃から「祈ること」や「神様」は身近に感じてきた。
ただ、学生時代はシスターの教えは大嫌いで怒られてばかり。ミサは寝る、聖書はイタズラ書き。
社会に出てからは、教えられたキレイ事は通用しないし、普段は忘れているものの、何か大きな出来事があると、心のどこかで「神様の力かな」と自然に思っている。

●銀行員から西城秀樹へ 25歳で大転身
銀行総合職をやめたいと思っていたとき、中学から大好きだったヒデキの事務所から、当時ファンクラブに所属していた私に事務所で働かないかと声がかかり、夢かとビビる。
「人生最大の神様のイタズラ!のらないと女が廃る!」と思って飛び込んだ。

●30歳でフリーに
著名人インタビュー、雑誌・書籍制作など、「書く」仕事を中心に、メディアのプロデュースと制作。
書く仕事は手段でしかなく、本望は「私が魅力を感じるコンテンツを世の中に伝えたい」。←秀樹時代から変わらない
多くの企画の中で、特に「フラガール」「高橋大輔」に関わった仕事は私にとっての代表作。
ハワイ好きの私が映画「フラガール」とのタイアップでつくったフラ教本は、複数回重版がかかる異例のヒットに。
トップアスリートに7年間密着して、バンクーバー、ソチ五輪に行けたことは人生の財産になり、書籍を6巻シリーズで発行し、メディア制作業としても集大成になった。
時代の変化と共に「私が魅力を感じるコンテンツ」も変化し、今はフレンチシェフの社会活動とその発信をサポート中。

●信条
「好きはすべての原動力」
私は基本は仕事が嫌いなので、好きなこと(興味のあること)を仕事にする。

●好きなもの
ハワイ、デニム、Tシャツ
私はハワイの太陽でしか充電できません。今のところまだ少し電池残ってます。

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