私の名前はヤッシー。会社人生は終わった人ですが、第二の人生はこれから。会社の重しが取れた身軽さで見たこと、聞いたことなどをきまま(気まま、生まま)にお伝えします。きままなので、悪しからず不定期です。
≪一休さん≫
皆さん、一休さんはよくご存知ですね。そうあの「頓智の一休さん」です。子供向けのテレビ番組もずいぶん放映されたので知らない人はあまりいない、超有名人かもしれません。
今年はその一休さんが一休さんになってからちょうど600年になります。と書くと怪訝に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実は一休さんが「一休」の法号を大徳寺の高僧・華叟(かそう)から贈られたのは1418年。一休さん25歳の時なのです。
一休さんは後小松天皇の庶子として京都洛西の民家で生まれましたが、初名は千菊丸と言いました。6歳の時に京都安国寺の長老、像外禅鑑(ぞうげぜんかん)の侍童となり「周建」と呼ばれていました。母にしっかりと育てられたこともあり幼少のころから詩歌の才を発揮し、12歳で維摩経の講義を聞くなどその才能、老成ぶりは周囲を感服させるほどでした。生まれも育ちも一級の一休さん。時の足利将軍も無視できない存在でした。
有漏路より 無漏路へ帰る 一休み
雨ふらばふれ 風吹かば吹け
これが「一休さんが一休さんとなった」、悟りの境地に至った時の歌です。「漏」とは煩悩で、有漏路とは煩悩の境涯を言います。「漏」を取り去った悟りの境涯が「無漏路」です。悟った者からみれば、この二つの世界の隔たりはごくわずかで隣り合わせだそうです。「有」と「無」の中間で「一休みする」という境地が悟りだということです。悟った境地では雨も風もいとわない。どんなことがあってもこだわらない、達観できる自在の境地に達したわけです。
法華三部経を読誦される方は無量義経十功徳品第三の「有漏を為す者には無漏の心を起こさしめ」という経文を思い浮かべるかもしれません。まさにその「有漏と無漏」です。
「有漏」の真っただ中でウロウロしている凡夫の私には、この「一休さんが誕生した」、悟りの境地を詠んだ歌の深さは到底わかりませんが、一休さんがその後もますますとらわれることなく、達観して自由自在に生きたターニングポイントがここにあったことを学び感銘を覚えます。
一休さんはユーモアも一級です。「『し』の字を嫌う、困り者の父親を何とかしてほしい」との相談を受け、一計を案じて鰈を四枚買っていったところ、案の定「『しかれ』になるので失礼ではないか」と言われたのを、「『よかれ』と受け取りなさい」と諭した話、「一つから九つまでは、みな尻に『つ』が付くのに十にはなぜ『つ』が付かないのか」と言われ、「五つが『つ』が二つ付いているから、十は調整したのだ」と答えた話などは笑いながらも、そのユーモアの凄さに感心させられます。
「飾らずに相手を想って言う一休さん」だからこそ、言われたほうも素直に従ったのでしょう。
京田辺市には「一休さんのお寺」として有名な臨済宗大徳寺派の酬恩庵(しゅうおんあん)一休寺があります。ユーモアいっぱいで、自由自在に前向きに生きた、あこがれの一休さんにあやかりたく、9月のある日、酬恩庵一休寺を参拝してきました。
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