1998年、2年間のタイ留学生活を終え、再び故郷沖縄の琉球大学大学院に戻りました。そして修士論文ではスカトー寺の事例をもとに「開発僧と在家者との関係」にフォーカスして、開発僧の活動を支える在家者の役割の重要性について論じました。その頃には、タイで得た体験や調査を元に研究者の道を歩み始めていました。
沖縄で1年浪人した後、東京工業大学大学院の上田紀行先生とのご縁があり、博士課程の院生として入学しました。文化人類学者である上田先生は、「癒し」という言葉を日本に広めた第一人者であり、また仏教にも深い関心を持って研究されている素晴らしい先生で、私も大学時代から先生の本を何冊も読んでいました。その憧れの先生に指導を受けられる喜びはとても大きく、また大都会東京で学べる嬉しさでいっぱいでした。
東工大在学中も引き続き開発僧を研究するため、スカトー寺を訪れていました。ただ その頃には、開発僧の「活動」そのものや社会的な意義よりも、「心の開発・発展」あるいは「瞑想」など、より心のありようの方に私自身の興味関心が移っていきました。さらに東京で心理学系のワークショップや死の看取りやターミナルケアの実践などの縁もあり、タイ仏教に伝わる瞑想実践を日常に活かし「苦しみを減らす」ということへの興味がますます増えていったのです。
そしてもう一人、私の人生を変える出会いがありました。カンポン・トーンブンヌムさん。全身麻痺の障害を持ったタイ人で、日本人僧のプラユキ・ナラテボー師に紹介してもらいました。ちょうどスカトー寺で修行中だったカンポンさんは、首から下がほとんど動かないにもかかわらず、さわやかな笑顔で対話をしてくださり一気にファンになりました。気づきの瞑想で苦しみを本当に減らしていける喜びを、その身で実践されていました。「こんなすごい人がいたのかー!」と、私は何か自分に悩みが生じるたびにカンポンさんを訪れ、その都度今ここに戻って気づきを高める大切さに気づかされました。
カンポンさんはその後、スカトー寺の現住職パイサーン師が縁となり、ご自身の半生と気づきの瞑想実践について書かれた本を出版されました。私は何が書かれているかとても知りたくなり、自分のタイ語の勉強のためにもと、少しずつ彼の本を訳し始めました。カンポンさんの体験は非常にドラマチックですが、お涙頂戴の感傷的な文章ではなく、淡々としています。しかし彼の心の変化が手に取るように感じられる素晴らしい内容でした。 「これは私だけが読むのではもったいない、ぜひ日本の方にカンポンさんのことを紹介したい」密かにそう思い、日本語で出版できないかと思いました。しかし私も、カンポンさんも、日本ではほとんど知られていません。どうしたら翻訳本を出版できるかと思案の日々が続きました。
すると、たまたま佼成出版社の方とのご縁があって、この本に興味を持ってくださいました。 出版にあたり、プラユキ師が私の不十分な翻訳を見事に監訳してくださるという幸運を得て、さらに私の指導教官である上田紀行先生が監修として関わってくださって、2007年『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』というタイトルで、カンポンさんの本が無事出版されました。
多くの方のご縁が紡がれてできた、私のはじめての翻訳本。訳し始めてから3年の月日が経っていましたが、ささやかな願いが叶った瞬間の嬉しさは本当にかけがえのないものでした。
noteにて「月間:浦崎雅代のタイの空(Faa)に見守られて」連載中。タイ仏教の説法を毎日翻訳しお届けしています(有料記事)。note : https://note.mu/urasakimasayo