在家仏教を信仰する両親と三人兄妹(私は末っ子二女)。
そしてなぜか次々とわが家を訪れる人々との、なんとも不思議な日々。
昭和の終わりの混沌とした記憶を、自らが子育て奮闘中の今、順不同に綴ってみる。
飽くまで自分の記憶を頼りに、多少、盛りつつ♪
☆世界の七不思議
昭和50年代、私が小学生だったあの頃、わが家に一番頻繁に訪れていたのは、間違いなく彼女だろう。
マンションの2フロア上に、夫と幼い一人息子との3人暮らし。
“みっちゃん”は、ほぼ毎日うちの母をたずねて来ていた。
「お母さ〜ん。今日クッソ暑いね」
そこそこ美形で、しかも子育て中の母親なのに、言葉遣いにかなり難アリ。
当時の夏で「クッソ暑い」なら、今夏の暑さをみっちゃんはどう表現するのだろう。
さらにかなりのヘビースモーカーで、わが家でもよくタバコを吸っていた。
(思えば喫煙に寛容な時代だった)
みっちゃんが吐き出すのは煙だけではなかった。
毎日、夫の悪口をとめどなく垂れ流す。
「じょ〜だんじゃねぇっつーの。あのバカ男、死ねばいいのに」
みっちゃんより10歳以上年上のうちの母に、「気持ちは分かるけど、そんなこと言わないの!」とたしなめられてもお構いなし。
子どもの私に何となく理解できたのは、みっちゃんのダンナさまはギャンブルと女性が好きで、家に帰ってこないこともあるということ。
こういった来訪者のお陰さまで、小学生の私は「結婚すればみんな幸せになれるってわけでもなさそうだ」というこの世の現実を学んだ。
母は「相手を恨んでいても何も変わらないのよ。まずは自分だからね。みっちゃんが見方を変えれば、ダンナさんも変わっていくわよ」などと話しながら、
それでも止まらない愚痴を根気よく聞いていた。
そんなみっちゃんと母の会話を、私は本を読んだりテレビを見たり、みっちゃんの一人息子をあやしたりしながら聞き流していた。
でもその日、私はみっちゃんのある一言が気になった。
「まったくさぁ、これでよそに子どもでも作ってきた日にゃあ、ほんとぶっ殺してやりたくなると思うよ」
…え!? 子どもって結婚したら自然とお腹に宿るものなんじゃないの?
おじちゃんがよそで子どもを作るってことは、別の人と結婚するということ!?
どうしても知りたくなり、みっちゃんに聞いてみた。
「ねえ。よそに子どもってどういうこと?
結婚しないとできないんじゃないの?
子どもってどうしたらできるの?」
すると、立てた片膝にひじを乗せ、
いつもより細くゆっくりと煙を吐き出しながら、目を細めてみっちゃんは言った。
「世界の七不思議よねぇ…」
悲しげにも、可笑しげにも見える、謎めいた表情。
まさにけむに巻かれた私は、それ以上突っ込んで聞くことができなかった。
命は不思議な巡り合わせによって生じるらしい。
そして男女の関係は、子どもが思うほど簡単ではないらしい。
10歳そこそこの私に、そんなことを教えてくれたみっちゃんもまた、私にとっては人生の師なのだと思う。
次は、“そちらの筋“から足を洗うことになったご夫婦のお話。