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あるホームヘルパーさんの肖像

大島幸子さん(仮名)は今年80歳になるホームヘルパーさんです。前回「少女の笑顔が孤独な老人の心を救った」というブログで紹介した原田雅夫さん(仮名)のケアに入って5年以上経ちました。

原田さんは脳機能障害や認知症の影響で、不快なこと、待ちきれないことがあると、「ブッコロス!」という言葉をまき散らす人でした。身体機能に障害があるので実際は何もできませんが、言葉は激しかったのです。笑顔はほとんど見せず、不機嫌な態度ばかり示すので、何人ものヘルパーからケアに入るのを断られてしまい、大島さんが来てくれて、やっと担当のヘルパーさんが定着したのでした。

原田さんが「ブッコロス」と言うと、大島さんは、「あら、元気だこと。その調子よ。でも私、もっといい言葉が欲しいな。」と、ソフトに受け止めて対応してくれました。そのおかげで原田さんは少しずつ落ち着いてきたのですが、その変化には数年かかりました。原田さんはケアをするのに我慢と根気を要する人でした。

原田さんは普段から便秘気味で、よく数日分の便をリハビリパンツの中に失禁してしまいます。すると大島さんは、原田さんに、「あら、出たじゃない。よかったわね。さっぱりしたでしょう。よかった、よかった。」と明るく言って、手際よく処置をします。施設のスタッフが、「大島さん、立派ですね。ほかの人ではこうはできませんよ。」と言うと、大島さんは、「本人は恥ずかしいし、申し訳ないと思っちゃうでしょう。そういう風に思わないで、遠慮なく安心してケアを受けてもらいたいんですよ。失禁してつらいのは誰よりも本人ですから。」と優しい笑顔で答えました。

原田さんはデイサービスに行くようになる前は、週に一度、施設の浴室で大島さんの入浴介助を受けていました。湯気の立ち込める浴室でのケアは、汗だくになって大変だったようです。そしてある時施設のスタッフは、浴室の隣の洗面所で、浴室内の二人の会話を耳にしました。「まさお、私がケアに入った時は、私はあなたのお姉ちゃんよ。だから遠慮しないで甘えて、私に任せていいのよ。さあ、お姉ちゃんって、言ってみて。」と大島さん。すると、「お、お、お姉ちゃん!」という幼子のような声が、70歳を超えた原田さんののどからほとばしりました。

浴室から部屋に戻った原田さんに施設のスタッフが、「お疲れさまでした。大島さんがお姉さんなら、原田さんより年下の僕は弟ですね。これから原田さんのことを、まさお兄さんって呼ぼうかな。」と言うと、原田さんは体をよじって、大声で笑いました。

さて、猫舌の原田さんの食事は、スタッフがご飯やみそ汁を冷まして出さなければなりません。それが十分に冷めずに熱いと感じると、スプーンやフォークを逆手に立てて、もつれた声で「ブッコロス!」と言います。ある日その様子を見た大島さんが、「まさお、お世話をしてくれる人に、そんなこと言っていいの!」と厳しい声で叱りました。すると原田さんが泣きそうな顔を大島さんに向けて、「ごめんなさい」と小さな声を絞り出しました。周囲の人は驚きました。彼が施設に来て約7年、初めて口から出た謝罪の言葉だったのです。スタッフも、「原田さん、ごめんなさいって言えるなんて、すばらしいです。えらいなあ。」と褒めました。原田さんは、褒められて恥ずかしそうに笑顔を見せました。

同じころ、原田さんが言えるようになった言葉が「ありがとう」でした。朝食を食べない原田さんを心配して隣の部屋のAさんが毎日1個のあんパンをくださったのですが、原田さんはそれを無言で受け取り、おいしそうに食べていました。口をもぐもぐさせている原田さんに大島さんが、「Aさんに何と言えばいいの?」とヒントを仕向けると、原田さんはAさんに顔を向けて「ありがとう」と言いました。

前回書いた少女とのご縁で「おはよう・こんにちは」を、施設内のご縁で「ありがとう」「ごめんなさい」を言えるようになった原田さん。この3語さえできれば、人との関係を作れます。原田さんがデイサービスに行き始めたのは、ちょうどこの頃でした。

よい縁に恵まれれば、たとえ高齢でも認知症を患っても、人は進歩できるのだということを原田さんが教えてくれました。

大島さんも山あり谷ありの人生を送ってこられた方です。人の好い夫が知人に頼まれて保証人の判を押してしまい、その知人が借金を残したまま失踪したため、住んでいた家も夫婦で経営していた小さな会社も失いました。その後勤めた会社も経営に行き詰まって立ち行かなくなり、夫も体調を崩して病死しました。そして60歳を過ぎてホームヘルパーの資格を取得し、訪問介護の会社に就職されたのです。

多くの日本人と同じく、大島さんには特別な信仰というようなものはなく、誰かの説法を聞いたことも、宗教関係の本を読んだこともありません。しかし私には、大島さんが仏性(仏の心)を深く持った人、お釈迦様の心にかなった人の一人と思われてなりません。大島さんと接すると、人には本来愛や優しさ、賢さが備わっているということが素直に信じられるのです。

大島さんは今日も、ケアの仕事で痛めた腰や膝をいたわりながら、夏の日差しにも冬の冷え込みにも負けず、自転車に乗って、訪問看護にいそしんでおられます。

 

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田中登志道

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1950年茨城県生まれ。公立高校の教師をしながら不登校児支援ボランティアの活動に取り組んだ。1995年に全日本カウンセリング協議会認定カウンセラー2級を取得。2000年にフリースペースを設立し、進路相談や学習指導、カウンセリングにあたった。2008年、公立高校教頭の職を辞し、教育カウンセラーとして不登校、引きこもりの子どもを抱える家族の支援を続ける傍ら、生活困難者の自立支援、路上生活者の援助、障害者と共に生きる活動などに携わっている。
著書「不登校からの出発」(佼成出版社刊)
  「不登校かな!?と思ったときに読む本」(佼成出版社刊)

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