原田雅夫さん(仮名)は、東京都内の生活困窮者支援の宿泊施設の入所者で、70代の方です。家族はなく、様々な仕事をした後、60歳ごろに職を失って路上の生活になりました。そして劣悪な生活環境の中で脳機能障害に陥り、認知症を患い、現在は歩行困難のため車椅子の暮らしで、生活保護を受給されています。
お金を騙し取られたり、冷酷な仕打ちを受けたりしたつらい体験が骨身に染みた原田さんは、誰とも親しく交わらず、施設のスタッフが勧めるデイサービスにも行かず、数万円の全財産の入る財布は、履いている靴下の中に入れていました。スタッフも銀行も全く信用しませんでした。
原田さんの部屋は2階建ての施設の1階です。部屋の窓は幅4mの道路に面しており、その窓から外を眺めることだけが彼の暮らしでした。その道路は近くの中学校に通う生徒たちの通学路になっていました。
数年前の4月、中学1年生になった近所の女の子が登校途中にこの道を歩いて通りました。外を眺めていた原田さんと目が合った少女は、軽く会釈をしました。礼儀正しい子だったのですね。人にあいさつをされたことのない原田さんは驚き、少し笑顔を見せました。
それが最初の出会いでした。少女は毎朝7時50分ごろに通ります。この時間帯に原田さんは窓に顔を近づけて少女を待つようになりました。軽い会釈から始まったあいさつが、互いに笑顔で手を振るようになるまで、時間はかかりませんでした。
朝は登校時間が決まっていますが、帰りは部活動や学校行事によって下校時間が様々です。少女は学校帰りには窓の前で立ち止まり、時に窓を指でたたき、少女に気づいた原田さんに笑顔で手を振ってから家に帰りました。原田さんの暮らしに貴重な楽しみが生まれました。
そうしたある日、原田さんの体に急変が生じました。夜、急に耐え難い腹痛が起こり、病院に救急搬送されたのです。検査の結果、手術を要する内臓疾患と分かり、原田さんは約2か月の入院生活を余儀なくされました。
翌朝から部屋に原田さんの姿はありません。少女はおじさんの部屋の明かりが消えて、窓のカーテンがいつも閉じているので、心配でなりません。(おじさん、どうしたんだろう)と気にかけながら、誰に尋ねることもできず、毎日窓の下を空しく通り過ぎました。
2か月ほどたった日の学校帰り、少女はおじさんが部屋に戻っているのを見ました。ちょうど原田さん担当のヘルパーさんがケアを終えて玄関から出てきました。少女は聞きました。「おじさん、どうしたんですか。ずっとカーテンが閉じたままで、私、心配してました。」ヘルパーさんも、この少女のことは知っていました。「おじさん、病気でずっと入院してたのよ。よければ上がって話していけば。」というヘルパーさんの勧めに「はい!」と答えて少女は施設に上がり、原田さんと初めて会話を交わしました。原田さんは、脳の障害で発語が不自由でしたが、満面の笑みを浮かべてうん、うん、と頷いていました。そして、少女と朝晩のあいさつをする日常が復活しました。
それから、原田さんは変わりました。少女に手を振るときに、道の向かい側のマンションの掃除をしていたパートのおばさんにも「おはよう」と声をかけるようになったのです。おばさんからも「おはよう、いい天気だね」という返事が返ってきます。施設のスタッフが出勤してくると、彼らにも声をかけます。今までは、スタッフが朝の挨拶をしても、ほとんど返事をしないで横を向く人でした。
デイサービスにも通い始めました。お気に入りの赤い帽子をかぶって、週2回の外出が楽しみになりました。言葉が不自由で、社交的な人ではありませんが、皆と一緒に過ごすことにも慣れていきました。原田さんの財布は靴下の中から部屋の物入れに移りました。安心して施設のスタッフやヘルパーさんに委ねられるようになったのです。
原田さんの劇的な変化には、数年間寄り添ってくれたホームヘルパーさんの努力や、スタッフや他の入所者の声掛けなどの影響もあったのですが、彼の閉じた心の扉を開いた大きな力が、この少女との出会い、笑顔で手を振る少女の明るい姿にあったことは間違いありません。
少女は学校のある日は毎日窓の下を通り、原田さんに笑顔を見せて手を振ってくれました。出会いから3年後、少女は中学を卒業して高校に進学しました。そのため、少女が窓下を通って通学することはなくなりましたが、原田さんの心には少女の笑顔の面影がいつまでも温かく残ることでしょう。そして原田さんは今日も、ご縁の人たちとよい関係を保ちながら、デイサービスに通い、穏やかな暮らしを楽しまれています。