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ホームレスの神様、路上生活の文殊様【後編】

私は自分の体験から、困窮者・貧窮者への支援の思想・哲学に関心を抱くようになりました。その契機となったのは、インドでの生活体験と、ある文章でした。

私が1年間暮らしたインドでは、物乞いで暮らす人が多く、その分、喜捨をする人も多くいました。喜捨する人は物乞いさんの前にさりげなくお金を置いていきます。通りかかった家族の父親が子供に「これをあげなさい」と渡した硬貨を、子供が物乞いさんの前に置かれた缶に入れる光景も見ました。そして私は外出時に喜捨のための硬貨が財布の中にあるかどうか、確認するようになりました。

ある日読んだインドの知識人の文章に、以下のようなことが書かれていました。

—— ヒンズー教において、貧窮者への支援は、他の宗教とは違う意味合いがある。仏教やキリスト教では、自分とは別の存在に対する「慈悲」であり、「愛」であろう。一方ヒンズー教では、大宇宙の生命と個別の生命は本質的に同じものである。つまり、自分と他者は別の生命体ではなく、同じ命を共有するのだ。その一方が富み、他方が貧しいなら、持っているものを分かち合うのは当然の行為だ。喜捨とは、ヒンズー教徒にとっては、宗教的に必然的な「分かち合い(シェア)」なのだ——

私は鮮やかな印象を受けました。日本在住のヒンズー教の僧侶の方は、信者たちと一緒に、毎月横浜の公園でホームレス支援の活動をなさっていて、彼はそれを「ホームレスの神様への奉仕活動」と呼んでいます。私たちの中にも、ホームレスの人たちの中にも、同じ至高の神がいる。その神様への奉仕なのだというお考えのようです。彼は、東日本大震災の復興支援にも大変熱心です。

一方、日本の歴史には、貧窮者・困窮者支援に命を捧げた方々が少なからずおられました。例えば、奈良時代の行基菩薩、鎌倉時代の叡尊・忍性菩薩、室町時代の願阿弥、江戸時代末の大田垣蓮月などがすぐに脳裏に浮かびます。

ここでは特に、鎌倉時代の忍性菩薩について考えたいと思います。

忍性菩薩の(また、彼の師匠である叡尊の)重要な信仰として「文殊菩薩信仰」がありました。文殊菩薩は貧窮者や孤独者、苦悩を背負う衆生となって行者の前に現れる。だから彼らを生身の文殊菩薩と見立てて精一杯の施しを行うのだという思想です。「仏説文殊師利般涅槃経」というお経に基づくそうです。

貧窮者は文殊菩薩の化身であり、慈悲業を実践させるために行者の前に現れます。現代の路上生活者も、私たちに人間的な行為を行うチャンスを与えるために現れた人々なのかもしれません。とすれば、私たちは活動の機会を与えてくれる彼らに感謝しなければなりません。

忍性菩薩は、56歳の時に、10種の誓願を立てました。その中の3つを紹介します。

【6】孤独・貧窮・乞食人・いざりや牛馬の路傍に捨てられたものにも憐れみをかけること。
【7】自分に害を与え、ののしり非難する人も自分のよき友と思い、救済の努力をすること。
【10】以上の誓いの実践で功徳が得られるならば、それをわが身に留めることなく、世のすべての人々に分かち与えること。
(簡明な現代語にしてみました—筆者)

いかがでしょうか。私はこの誓願を読んだとき、「これは聖書で読んだイエスの言葉と同じだ」と思い、心打たれました。時代や地域の違いを超えて、慈悲・愛の極めて深い人は同じく高く尊い境地に到達するのですね。

忍性菩薩のような尊い人が現れた日本に生まれたことを感謝します。また、こうした偉人からも路上生活の人たちからも、生き方や考え方を学んで心を深めていきたいと思います。

 

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田中登志道

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1950年茨城県生まれ。公立高校の教師をしながら不登校児支援ボランティアの活動に取り組んだ。1995年に全日本カウンセリング協議会認定カウンセラー2級を取得。2000年にフリースペースを設立し、進路相談や学習指導、カウンセリングにあたった。2008年、公立高校教頭の職を辞し、教育カウンセラーとして不登校、引きこもりの子どもを抱える家族の支援を続ける傍ら、生活困難者の自立支援、路上生活者の援助、障害者と共に生きる活動などに携わっている。
著書「不登校からの出発」(佼成出版社刊)
  「不登校かな!?と思ったときに読む本」(佼成出版社刊)

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