エッセー

インドで学んだ宗教の普遍性

私は10年ほど前に、インドで1年間ほど大学生や市民に日本語を教える仕事をしたことがありました。滞在していたのは、インド亜大陸最南部のタミールナド州です。

現地の人々は信心深く、自宅、職場、学校、バスの車内など、至る所で神々をまつり、ヒンズー教の寺院はいつも信者や家族連れで賑わっていました。
しかし目に映るのはヒンズー寺院かキリスト教会、イスラム教のモスクばかりで、仏教寺院は見当たりません。仏教徒の私にはそれが残念で、寂しく感じられました。

初めて滞在した異郷で、日本人に会う機会もほとんどなく、現地語であるタミル語のできない私には、何かと心細さや寂しさが募り、仏様に額づいて無事を祈りたかったのです。

インドに来て約4か月、年末の休暇に入ってお寺参りの個人や家族連れの人々が増え、日本でも新年の初詣が近づいていた頃のことです。私の心に、これほど熱心に人々が信仰を寄せるヒンズー教とはどんな宗教なのか、知りたいという思いが生じました。私はパソコンでインターネットを開き、ヒンズー教の思想や歴史を調べ始めました。

そして数日後、近代インドの偉大な宗教家、ラーマクリシュナという人の存在を知りました。1886年に50歳で亡くなった彼は、イギリスの植民地となり、すべてに自信を喪失していたインドの人々に、自らの伝統の中に深く息づく高い精神の価値を再認識させて、自信と誇りを蘇らせた人と言われます。

ラーマクリシュナは、他の宗教にも非常に寛容で、大きな包容力を持った人でした。彼は語ります。「宇宙の母なる神は、子供たちのお腹に合うように、料理を作ってくださるのです。」料理とは、宗教の譬えです。世界には、風土、歴史、文化、人の個性などの違いに応じて、多くの宗教が存在します。それらは一見異質・無関係な宗教のように見えますが、究極的には、すべての宗教が、無私と博愛を本質とする唯一の、至高の神に繋がるのだというのです。

私はラーマクリシュナのスケールが大きくて包容力を持つ思想に感動しました。この考えによれば、仏教、キリスト教、ヒンズー教、……のような宗教の違いを過剰に意識する必要はありません。すべては深いところで繋がり、究極的には一つの至高の存在に到達するのですから。もちろん各宗教の優劣を論じる必要もありません。私たちは自分の信じる神や仏に帰依するとともに、互いの信仰を尊重し、尊敬の気持ちで交流するのがいいということになります。

私は早速住んでいた町のヒンズー教寺院に行き、祭壇の前に額づいて、自分の無事と世界の平和を祈りました。そのおかげで、それまで胸の中にあった孤独や不安が癒されて、心がやすらぎ、明るい気持ちになりました。また、ヒンズー教やイスラム教を信仰するインドの人々にも親近感が湧いて、親しく交流する人も増えていきました。

私はラーマクリシュナの言行録や彼の一番弟子であるヴィヴェカーナンダの著書を買い、電子辞書を頼りに読みふけりました。The Gospel of Ramakrishna(ラーマクリシュナの福音)は読み終えるのが残念に感じるほど深くて豊かな味わいに感銘を受けましたし、ヴィヴェカーナンダのChicago Addresses(シカゴ講演集)は若々しくて力強いメッセージに心を揺さぶられました。(帰国して、どちらにも邦訳本があることを知りました。)

彼らが生きた時代から時を隔て20世紀には、世界の宗教どうしの相互理解と協力を訴えて主導し、世界平和に多大な貢献をする方々が現れました。ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、立正佼成会の庭野日敬開祖、天台座主山田恵諦大僧正などです。もしラーマクリシュナやヴィヴェカーナンダが時代を超えてこの方々と出会えたならば、肝胆相照らす親友になったのではないかと私は想像します。

現代に生きる私たちは必ずしも心が安らかではありませんし、世界には国際関係や民族・宗教の対立、経済事情などによって悲惨な境遇に追い込まれている人々が多くいます。偉人たちの教えを学び、宗教の違いを超えて人どうしが繋がり、平和と幸福を共有できる時が来ることを神・仏に祈りたいと思います。

 

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田中登志道

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1950年茨城県生まれ。公立高校の教師をしながら不登校児支援ボランティアの活動に取り組んだ。1995年に全日本カウンセリング協議会認定カウンセラー2級を取得。2000年にフリースペースを設立し、進路相談や学習指導、カウンセリングにあたった。2008年、公立高校教頭の職を辞し、教育カウンセラーとして不登校、引きこもりの子どもを抱える家族の支援を続ける傍ら、生活困難者の自立支援、路上生活者の援助、障害者と共に生きる活動などに携わっている。
著書「不登校からの出発」(佼成出版社刊)
  「不登校かな!?と思ったときに読む本」(佼成出版社刊)

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