在家仏教を信仰する両親と三人兄妹(私は末っ子二女)。
そしてなぜか次々とわが家を訪れる人々との、なんとも不思議な日々。
昭和の終わりの混沌とした記憶を、自らが子育て奮闘中の今、順不同に綴ってみる。
飽くまで自分の記憶を頼りに、多少、盛りつつ♪
☆コンビニと花火とガイセンシャ
細身で長身、面長に角刈り。年の頃は20代半ばといったところ。
ものすごく大きく通る声で挨拶をするお兄さんが、私たち家族の住むマンションの上の階に引っ越してきたのは、いつの頃だったか。
大人たちが、「お仲間がガイセンシャで迎えに来てたわよ」などと小声で話していたのを覚えている。
父や母から「あのお兄さんに近寄るな」などと注意されたことは一度もなかった。
たまにマンションの下で子どもたちと一緒に遊んでくれる、礼儀正しくて、明るくて、優しい青年。
住民たちにとって、とても好印象な人物だった(と私は記憶している)。
ある夏の夕暮れ時。
外で遊んで帰ってきたら、お兄さんが階段を降りてきた。
「お〜、マサコちゃん! 花火買いに行こう、花火!」
藪から棒なお誘いに私がぽかんとしていると、お兄さんはわが家の開けっ放しの玄関(平和な時代だった…)に向かって声を張り上げた。
「おかぁさ〜〜ん! マサコちゃんと花火買いに行ってきま〜〜す!」
向こう三軒両隣に響き渡る大音量。
「あら、そうなの? いいの? じゃあお願い…」という母の返事が終わらぬうちに、私を連れて、お兄さんはすぐ近くのお店を目指した。
セブン-イレブンが日本に初めて出店したのは1974年とか。
近所のそのお店も、以前は酒屋さんだったのが、時流に乗ってコンビニエンスストアに様変わりしたばかりだった。
自動ドアから入ると商品がキレイに陳列されていて、店員さんはおそろいのエプロンでレジカウンターの中に立っている。
これまでの「個人商店」とは何となく雰囲気が違う、新時代的な雰囲気が、小学生の私にも感じられた。
さて、お兄さん。
自動ドアが開いた瞬間に、手を上げて「よぉっ!!!」と声を張る。
若い店員さんが、小さくビクッとしたのが見えた。
「花火ある?花火! お〜、ここか! よしっ。一番大きいのにしような、マサコちゃん!」
私の名前、言わなくていいのに〜〜(泣)と思いながら入口付近で小さくなっていると、
手に花火を持ったお兄さんは、レジに寄らずにこちらに向かってきた。
「あ、あの、お会計を…」と呼びかける店員さんの震える声をさえぎって、
お兄さんは背筋をピンと伸ばし、花火を高く掲げて、一層大きな声で言った。
「おうっ、これツケな! ツケにしといて! 後で払いに来るから!」
後にも先にも、こんなに正々堂々たるツケの宣言を、私は見たことがない。
振り返って店員さんにペコリと一礼し、お兄さんの後を追った。
「お兄さん、いいの? お金、払わなくていいの?」小走りで痩せた背中に聞くと、
「いいのいいの! 後でちゃんと払うから! 帰って花火やろう!」と陽気な答えが返ってきた。
いいわけない。ああいうお店でツケなんて、いいわけがない。
しかも私の顔と名前、覚えられただろうし…。
不安でいっぱいの私の頭に、その日やったはずの花火の記憶は残っていない。
やっぱり黙っていられなくて、母に話した。
「あら、そう。あははは! 分かった。心配しなくて大丈夫よ」という母の言葉にすっかり安心した私は、その後どうなったのか、確認することすら忘れてしまった。
今も元気な母に聞いてみてもいいのだけれど、曖昧で、カオスで、どことなく温かいあの頃の記憶は、なぜか明らかにする気にならないのだ。
街宣車のお兄さんが、いつ引っ越して行ったのかも、覚えていない。
次は、放蕩夫に手を焼く、ちょっと口の悪いミセスのお話。