エッセー

「愛すべき来訪者たち」#2

ノラの子猫グレーが縁側と庭を自分のテリトリーとして、気ままに、幸せで安穏な日々を過ごしていた。グレーにとって、試練の日は突然やって来る。それはまず家族にとっての試練の始まりと共にやって来た。

ある日、我が家に突然にはるか年下の小学一年生の女の子が加わった。
父が外でつくった妹だ。その子の母親が病気により急逝した。
そして、母が自分の水子の一人が返ってくると、我が家で育てることにした。
当時子供の立場ではわからなかったが、大変な葛藤があっての決心だった。

それとタイミングを合わせて、我が家に真っ白な子犬が一匹家族として突然加わった。
父の行きつけの料理屋のおかみさんの智慧だった。家族のつなぎ役として、全員が文句なしに可愛がる対象を加えることだった。
大阪の料理屋から、父が上着のお腹の中に入れて、飛行機に乗かってその子はやって来た。

雪の様に白くてムクムクの可愛い盛りだった。このスノー(雪)は小さいが、顔も整った美形の女の子だった。
しばらくの間は玄関のたたきと上がり框が、スノーのテリトリーに成った。
どういう訳か、玄関に脱いだままの私の靴が遊び道具だった。良くかじられて、ヘリがべとべとになっていた。

グレーは翌日には異変に気付いた。
聞きなれない子犬の鳴き声が、家の中からする。それに自分に向いていた家族の目線がどうも違う方を見ている。
グレーにとっては気が気でない。貰ったご飯を食べながら、縁側から家の中の様子をしばしば覗う。時には堪らず家の中に入り込もうとした。何時も一二歩入ったところで追い出された。
もう、庭でのんびり遊んでいるわけにはいかない。鳴き声と匂いのする玄関の方にしきりに回っては正体を確かめようとする。でもなかなか中が見えない。

やがて、その正体を知る時がきた。
スノーが赤い首輪をつけて、散歩用の紐に結ばれて出てきた。
その気配を察して、グレーは玄関の向かいに身構えていた。スノーを見ると一瞬たじろぎ、後退りした。その後お互いを確かめようと、間合いを取って見合った。
だが、妹がスノーを抱き上げたところで、終わった。

家の子とノラの差が歴然とした。グレーは抱き上げて貰ったことも無い。それに比べスノーは赤い首輪をして、上から見下ろしている。
もし、スノーが猫だったら。グレーにもガールフレンド候補として、意欲を掻き立てられるものがあったかもしれない。
しかし、まぎれもなく犬だ。
そして、ショックと共に打ちのめされた気分で、塀に飛び上がった。寂しげに散歩に出かけるスノーをそこから見送った。
グレーにしてみれば、初めて味わう自分ではどうしようもない理不尽なモノの苦い味だったろう。

一方、我が家の人々もそれぞれの立場で、理不尽な苦い思いを味わっていた。
母にしても、当初の決心とは違った色々な現実の問題にぶつかっていた。
妹も小学校一年生だ。背負いきれない思いを担っていた。
これはそのほんの一コマの出来事だが、ある日私の勉強机の上にあったフランス語教科書の表紙に金釘文字の落書きが大書してあった。洒落た色合いの気に入りの本が見るも無残な姿に成っていた。
この子にとって、兄は怖かったのだろう。ストレスのはけ口は私に向かってきた。

この様なことが様々に起こる我が家にやって来たスノーはやはり不思議なところを持った犬だった。
後に成長するに従い、どんどん人間臭くなっていったが、このころからその片鱗を見せていた。
人が心を痛めていると、敏感に感じとるらしい。その人に寄ってきては手をなめたり、顔をなめたりして膝の上に座る。一番母の処に座っていた。

数か月後、スノーが庭で飼われることに成った。当時はまだ座敷犬にして飼う家は少なかった。その時からグレーの苦難が本格的に始まった。

戦前から母の実家の庭仕事を住み込みでしていたおじいさんがいた。
年に二回ほど、隠居先の郊外からやって来た。我が家は小さい庭だった。何かと仕事を見付けては、半日位塀を直したり、庭の木の世話をしたりしていた。
そのおじいさんがあっという間にスノーの家を作った。赤い屋根と白壁の家だった。

そのスノーの家を見て、グレーはうらやましくてしょうがない。
塀の上から観察したり、そっと後ろから近づいたりして、スノーの隙を覗っていた。
ある日、スノーが鎖をとかれて、庭の中を走り回っていた。その隙を狙い白い家の後ろから突然現れたグレーが、スノーの家の中に飛び込んだ。

気が付いたスノーと、白い家の中で爪を立って身構えるグレーの睨み合いが続いた。
しかし、この争いはあっけなく終わった。その場にいた兄が家を逆さにし、ゆすってグレーを追い出した。グレーはあきらめて塀の上に逃げた。
だが、グレーもさるもの。僅かの間に、スノーの毛布におしっこをかけ自分のにおいをつけて行った。

また、ある時はスノーが鎖につながれている間、グレーは庭先で虫を捕まえて見せていた。セミでも蝶でもお手のものだ。
また、甕の魚も取って見せていた。お前にはできないだろうと見せびらかしている様だった。スノーは自分だって、やって見せてやると思ったらしい。

その後、鎖をとかれた時に、スノーは蝶に跳びついたり、バッタに跳びかかったりした。何度も練習していた。
そのうち、やっと捕まえた。少し得意げだった。しかし、花壇の花はめちゃくちゃになった。
うるさく鳴く木のセミに向かっては、何度か木に跳びつこうとしたが、ダメに決まっている。その後は、恨めし気に下から睨んでいるだけだった。
また別の時は、魚を捕まえようとした。甕の中に前足を突っ込みかき回しては、お獅子の様に口を開きやみくもに水面をパクパクと何度もやっていた。これは徒労だった。顔と前足がずぶ濡れに成っただけだった。

次はグレーの苦難の後の旅立ちまでのお話です。

 

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イチゾウ

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団塊世代、重厚長大産業出身、第二の人生真っ只中。

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