1992年3月。地元・琉球大学に進学し1年が経過しようとするころ
3泊4日のスタディツアーで初めてタイを訪れました。
沖縄に住む私から見ると、首都バンコクは大都会。
タイは発展途上国=貧しいというステレオタイプで考えていた私は、高層ビルや高価な車がたくさん走る、街のにぎやかな風景に驚きました。
しかしそんな姿だけではありません。ツアーではスラム街で活動される現地NGO「プラティープ財団」を訪れ、急速な経済発展の影で貧困問題が生じていることも学びました。
そして、立ち並ぶきらびやかな仏教寺院に、日本とは明らかに違う風貌の僧侶にも興味がわいて、私の頭の中はいろんな疑問が湧きました。しかし、その疑問を一体誰に聞けばいいのかわかりませんでした。
帰国後、大学2年に進級した時、友人から「今度新しく赴任された先生は、タイのことを研究しているらしいよ」と聞きました。のちに恩師として私を導いて下さる鈴木規之先生です。早速、鈴木先生の担当する『比較政治学』という授業を履修しました。
するとびっくり!まるで先生は私が抱いていた疑問をご存知だったのかと思うほど、タイの経済発展と開発のありようについて丁寧に話されました。 さらに仏教との関係にも言及され、タイには「開発僧(かいはつそう)」と呼ばれる社会活動や農村開発にも従事される僧侶がいることを知ったのです。
鈴木先生は タイの名門チュラロンコン大学に留学された経験もあり、タイ語も堪能。特に農村地域でのフィールドワークを通して社会変動のありようについて研究されています。
当時、先生はタイに興味のある学生にボランティアでタイ語を教えてくれました。タイ文字はとても独特で、かわいい絵文字のよう。私はタイで自分へのお土産として「タイ文字版あいうえお練習帳」をノリで買っていました。買った時は本気で勉強する気はなかったのですが、鈴木先生とのご縁を通じ、実際にその練習帳を使ってタイ語の勉強を始めました。当時、沖縄でタイ語を学べる場所は皆無といっていいほどでしたから、私は本当に幸運でした。
大学2年の夏休み前、鈴木先生はタイ語を学ぶ学生たちに、タイ東北部へのフィールドワークに一緒に行かないかと誘ってくれました。そして「僕の知り合いの日本人で出家している人がいるから、みんなに紹介するよ。彼のいるお寺に行こう」と言いました。
私は喜んでそのフィールドワークに参加する意思を先生に伝えました。 そしてそこで初めてお会いした日本人僧侶の方との出会いが、私のタイとの縁をますます深めることとなるのでした。
noteにて「月間:浦崎雅代のタイの空(Faa)に見守られて」連載中。タイ仏教の説法を毎日翻訳しお届けしています(有料記事)。note : https://note.mu/urasakimasayo