病気になってから空を見ることが多くなりました。
「これからどうなるんだろう」——がんと診断された日、病院の外に出て見た空は、先が見えない私の心とは対照的な、雲一つないすっきりした青空でした。
「抗がん剤治療、ガンバロー!」と、自宅を出て気合いを入れるとき。
亡き両親に、「どうか見守ってね」とつぶやくとき。
「なんかわかんないけどつらいよー」と叫ぶとき。
副作用から解放されて一週間ぶりに外に出たときの「やったー!」。
麻酔から醒めて、歩けるようになった朝、病室の窓から……。
自然と空を仰いでいました。そんな私の一方的な思いを、いつもその大きな存在は静かに受けとめてくれました。
そしてあるとき、ふと思ったのです。
病気になる前は、こんなに空を見ることはなかった。
正しく言えば、見ようとしていなかった。
頭の中はいつも仕事のことや病弱な親の心配などに支配されていました。まだ起きてもいないことに臆病になり、四六時中、頭の中でストーリーを作って、不安になったり、忙しくなったり、勝手に悲劇の主人公になったりして。自分がいま立っている現実の世界を、五感で感じることを忘れていました。空だけではない。季節ごとに咲く花やその香りにも鈍感になっていました。だから病気になって、「こんなところにこんな花が咲いていたんだ」「秋になると、このあたりから金木犀の香りがするんだ」「こんなふうに木々の葉っぱの色が変化していくんだ」と初めて意識するようになりました。
見ようとしなければ見えないもの、視界に入っていても見ていないものがまだまだきっとあります。インターネットやSNSが生活の中心になりつつある現在、私たちは、体と心で感じる世界からどんどん離れていきます。もちろんそうした世界から完全に撤退することはできないけれど、時折、立ち止まって、体と心で感じる世界に生きてみたい。
皆さま
いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。自分の体験を語ることは、恥ずさもありながらのスタートでしたが、皆さまが読んでくださっているということに、私自身が励みを頂き、やはりこの体験は無駄ではなかったと確認する機会にもなっています。お一人お一人に感謝を伝えたいくらいです。 このほど第3回の写真を間違えてしまいました。 また新たに掲載していただいています。 お詫びとともに、今後ともよろしくお願いいたします。Rie