年越しが迫ってきましたが、「年が越せない」という状況を経験した方は、若い方にはほとんどいないと思います。
私が高校生の時、我が小宮家は、12月になると毎年のように「今年は年を越せるのか?」ということが話題に上りました。それは、年末になって、お金がなくて新年の準備ができない状態を指します。
父はテレビドラマのフリーの制作スタッフでしたが、仕事をして、給料が入ってくるのは普通3ヶ月後です。その間にその会社が倒産して、1円も入ってこないなんてことはざらにありました。
ある年、12月中旬に入る予定の給料がやはり倒産が原因で入金されず、どうしようもない年末があったのです。しかも年収が150万円程度なのに、給料が入らないというのは、本当に死活問題で、さすがに年末に現金がないのは慌てました。
新年に合わせて下着も新しくできず、正月に食べるささやかなハムやソーセージも買えず、周りは新年に向けてウキウキしているのに、自分の家だけ暗い感じを味わうのです。どうしようもない年越しでした。
それ以来、12月に入ると「今年は年が越せるのか?」と話になるのでした。
年越しといえば、「かさじぞう」というおとぎ話がありますね。このお話の冒頭に「正月が来るというのに、餅も作れないで」という話が出てきます。息子が小学校1年生になると、国語の教科書で読むのですが、お手本を見せて読むたびにある場面で、私が泣いてしまいます。
それは、じいさまがお地蔵さまに笠をかけてきたと言った後に、ばあさまが 嫌な顔一つしないで「おおそれはええことをしなすった。じぞうさまもこの雪じゃさぞつめたかろうもん。」という場面です。この場面は、何回読んでも泣けてきます。
つばめ塾を作って1〜2年間は、入ってくる生徒の数も少なかったので、入塾のたびに、「今日はこんなに厳しい家庭の子どもが入塾してきた。」という話を妻にしていたのです。すると妻が「そういう子達のためにつばめ塾が役に立ってよかったね。」と必ず言ってくれました。つばめ塾を推進するにあたって嫌な顔をしたことは一度もありません。こういう場面を思い出し、つい声が詰まってしまうのです。
つばめ塾は大きくなってしまったので、妻が塾に関与することは一切ありませんが、妻の支えがなかったら、ここまで大きな塾になることは絶対にありませんでした。本当に感謝しかありません。正社員の収入を捨て、完全な無職になった時も、「無料塾なんか始めるからだ!!」なんてことは一回も言ったことがないのです。
お話では、お正月を前にお餅などをお地蔵さまが運んでくれます。私たち夫婦にとって、塾生が一生懸命に勉強して高校や大学に進学してくれることが最高の「お餅」だと思っています。
こうしている間にも「年が越せないかも、、、」と暗い気持ちでいるご家庭もあるかと思います。「貧困は自己責任!!」などと雪のように冷たいことは言わず、「困ったときはお互いさま!!みんなで助け合って生きていこう」という温かい気持ちを持って年を越していきましょう。