在家仏教を信仰する両親と三人兄妹(私は末っ子二女)。
そしてなぜか次々とわが家を訪れる人々との、なんとも不思議な日々。
昭和の終わりの混沌とした記憶を、自らが子育て奮闘中の今、順不同に綴ってみる。
飽くまで自分の記憶を頼りに、多少、盛りつつ♪
☆押し入れの親子
ご近所に、ご主人との不仲について、うちの母に相談に来る若いお母さんがいた。
近くのスーパーでよく会い、親しく話すようになったらしい。
何となく覇気がなく、色白な細身の女性で、連れていた5歳くらいの男の子もおとなしかった。
名前は忘れてしまったので、ここでは勝手に「さっちゃん」とさせていただく。
母は「あらそう。そうなんだぁ」などと相槌を打ちながら、
何度もお茶を差し替え、長い時間さっちゃんの話を聞いていた。
時々、「ご主人を変えようとしても無理よ。まずはあなたが変わらなくちゃね」とか、
「奥さんが“顔見たら文句言ってやろう”って思いながら待っていたら、
ご主人だって家に帰ってきたくなくなっちゃうわよ」とか言っていたのを覚えている。
今思えば、母はさっちゃんに仏教の「縁起観」を伝えようとしていたのだろう。
その親子がある日、小旅行に出かけるような手荷物を持ってやって来た。
「予言によると、今夜、大地震が起こるそうなんです。
主人がいなくて息子と二人で不安だから、一緒に居させてください」
ギャグかと思いきや、その表情は大真面目。
ノストラダムスの大予言だか何だか知らないけれど、
さっちゃんはその手の話を信じ込むタイプだったらしい。
さらに「押入れが安全だから入らせてください」とのことで、
母は布団を外に出し、押し入れの下段を空けてあげた。
断っても良さそうなものだが、母に迷ったり困ったりする様子は無かった。
夕方帰宅した父は「へ〜、今夜大地震が来るのか。そりゃ大変だなぁ」と、
ちっとも大変そうじゃない受け答えをし、日課の読経を終え、これまた日課の晩酌に突入。
姉も帰ってきて、家族の夕食が始まった。
さっちゃん親子も食卓に誘うが、「私たちのことは気にしないでください」と固辞し、
持ってきたおにぎりを食べ始める。
かくして、テレビを見ながら一家団欒の途中にふと父の方を見ると、
その背後に、薄暗い押し入れの中で身をかがめ、おにぎりを食べる親子が見える…という、
何ともシュールな状況ができあがった。
(当時小学生の私は、“シュール”なんて言葉知らなかったけれど)
そして夜も深まる頃、ウイスキーのお湯割りでいい気分になった父が呑気に言うのだ。
「おいさっちゃん。地震、来ねぇなぁ〜」
小学生だった私が、予言の話を聞いても全く恐怖を感じなかったのは、
まだ阪神大震災や東日本大震災を経験する前だったこともあるだろうけれど、
父と母がいつもと変わらぬ様子で、怯える親子をありのままに受け入れている。
そんな空気感が、きっと私に安心を与えてくれていたのだろう。
そんなわが家には、他にもさまざまなお客さまが現れる。
次は、“街宣車で大きな声を張り上げるご職業”のお兄さんのお話。