DV、ストーカー、借金、引きこもり、などなど人間関係やカネに絡む問題を解決してきた15年間だった。試行錯誤を積み重ねてきた、と言っても過言ではない。設立当初から資金難。それでも事務所に寝泊まりしながら、24時間・365日OKの相談を1年2カ月続けた。そうして9年間続けた後に助成を受けられる公益社団法人になったけれど、その間、給与を支払えずに辞めてもらったスタッフも少なからずいた。
全国20数カ所の「駆け込み寺連絡所」も設立した。隣近所の家族同士が協力し合って、自分たちの地域で、自分たちの手で、身近な問題を解決していこうとするボランティアの姿は、仏教で言うところの「利他行」の基本のようにも見えた。
しかし、そうした情熱が時間とともに冷めていく様子も、いくつも見てきた。外から常に熱風を送り続けもしたけれど、最終的にはその現場で、自分で松明を燃やす意識こそが人を救うための根本条件だと改めて実感された。
常に考え、トライしては改め、そうしながら全国に出かけ、人と出会いながら、いつの間にか、これまでに5万人の人たちが何らかのトラブルから解き放たれてきたという事実もある。
宗教団体との出会いも日本駆け込み寺の経験にはありがたかった。全日本仏教会を通じて全国数万カ寺に駆け込み寺を設置しようとしたがうまく進まず、かえってそれが自分の使命感を明確にもさせることになった。
同じ宗教でも新宗連の人たちは、世間で言われる新興宗教へのいかがわしさとは裏腹に「ぬくもり」を感じる人たちが多かった。特に、立正佼成会は開祖庭野日敬初代会長が天台宗ともつながりが深く、我が師・酒井雄哉大阿闍梨との邂逅を彷彿とさせるものとして立正佼成会の方々との出会いを重ねてきた。どなたも純真無垢で、邪気のない、仏のような方ばかりだという印象が強い。
お話を伺ったり、行動を見ていても、真剣に自身を高める修行に励まれている。だからこそ、とも思う。その気持ちを広く社会に展開することを共に行っていきたいと。
そんな気持ちで、今年3月23日、法輪閣大ホールで教会長さんたちの人権学習会の場で、「たった一人のあなたを救う」と題して講演させてもらった。そのときに、天台宗の教えにある「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」が唐突に脳裏に浮かんだ。教会長さんたちの目に感じた「ぬくもり」がこの言葉を導き出させた。そして、覚えず「みなさん、この俺の命を使ってください!」と口から出ていた。自分としても何とも不思議な感覚だった。
「釈迦に説法」を覚悟のうえで言うと、信仰心の具体的な行為は人を救うことだと思っている。世の中は法律をつくれば人が救われると考えているようだが、決してそうはならない。まさに「仏つくって魂入れず」の状態が蔓延している。
現実の世の中は、座間市の九人殺人事件は、ある意味で「優しさ」が凶器になった。自殺したい人の願いを叶えるという、いびつな優しさ。しかし、現代社会には魂のない優しさが蔓延している。そこに人を救う信仰心はどう関わることができるのか? それこそが今の時代の根源的なテーマだ。否、そこに目を向けない宗教に何の意味があるだろうか?
人の魂に手を合わせない宗教って、何だ?
人の魂を語らない宗教って、何だ?
「利他」を実践しない宗教って、何だ?
座間市の事件で亡くなった人も、その遺族も救われなければならない。同じように、犯人も救われなければならない。
酒井大阿闍梨の遷化から4年2カ月。日に日に「利他」の意味をかみしめる。分かりやすく言えば「与えること」。自分の魂を出会う人に「与える」ことこそ師との間で無言で交わした“遺魂”。貧者の一燈に俺は徹する。
玄 秀盛
公益社団法人日本駆け込み寺
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一般社団法人再チャレンジ支援機構
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よろず相研株式会社
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