“縁側”・・・懐かしい言葉です。でも今や死語ではないでしょうか?前期いや元気高齢者の私ですら真っ先に寿司ネタを思い浮かべます。
1950年代(昭和30年前後)、私が子どもの頃、母の実家(農家)の日の当たる暖かい縁側は、おばあさんが縫い物をする所、近所の人たちと家のものがお茶を飲みながら談笑する所、雨の日は子どもが友達と勉強したり遊んだりする所、いわゆる、「仕事場」兼「応接間」兼「茶の間」兼「遊び場」と様々な使われ方をしていました。
しかし、生活様式の変化と核家族化で、庶民の住まいから縁側は消えてしまいました。今や、庶民生活には“無縁”の遠い存在となってしまいましたが、家の中でもない、外でもない多面的な機能を持った不思議な空間は、人と人、人と自然を繋ぐ安らぎの場でした。
人と人との繋がりが希薄になった現代は“無縁社会”と呼ばれていますが、縁側を無くしたことと妙に符合すると思いませんか? 先日、あるシンポジウムで、「住民同士の挨拶禁止を総会で決めたマンションが関西に出現した」という話を耳にしました。開いた口が塞がりませんでした。よほどの事情があったのでしょうが、大きな衝撃でした。
とは言うものの、私も町会の人たちと挨拶を交わす事は稀です。毎日顔を合わせる必然性が無い地域社会の中で“挨拶”を無くしてしまっている自分に気づかされました。“袖擦り合うのも他生の縁”と申します。シンポジウムに触発されて以来、知らない人にも声をかけることを心掛け、実践しています。
さて、“縁側”に関してもう少し考えてみる事にします。
私の記憶では、隣近所の人たちが遠慮なく出入りのできた縁側。そこは外と中の人が何でも自由に話せる場、悩みや悦びを共有する場であったと思います。また、部落の神社は、祭事はもとより、農家の旦那衆、地域の婦人会や青年団の集会の場であり、言わば「地域の縁側」がそこにあったように思います。
今、私の所属する町会や神社の氏子会といった組織が、帰属意識の希薄化、役員の高齢化などの問題で存続の危機にあります。今まで地縁を疎かにしてきた己を省みて“地域の縁側づくり”に汗をかくことにします。
「カーン・カーン・カーン 紙芝居が始まるぞ?!」
紙芝居屋の“てるさん”と申します。柴又帝釈天の参道で定期口演(毎月第1、第3土曜日)をしています。昔懐かしく、今新しい自転車の紙芝居です。
「大江戸ヤッサン一座」ブログ
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